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左にあるラベル毎に続き物の話をまとめています

2014年4月13日日曜日

ロシアとウクライナ:帝政ロシア編 ~食料は売り捨てるものだ~

さて、1700年代、ウクライナは帝政ロシアに吸収された訳ですが

この頃のウクライナは自治権すら無いので、特に外国や外交がどうのなどという要素は有りませんが
この頃のウクライナでの生活と、その流れを追っていきましょう




1721年に誕生した帝政ロシアはウクライナを支配し、
ウクライナ人を「小ロシア人」としてロシアの一部として認識し、民族的な分類もそのようになされ、
ウクライナ語を「小ロシア語」と名づけました。

実際同じ民族かといえば、ウクライナはコサックを由来とする
遊牧と略奪と農業と漁業をする人達ですから、かなり違うものと思われます
(この頃の略奪活動はよくあることです)

実際にウクライナ・コサックの自治権が廃止されるのは1783年になります。
その後農奴制が敷かれるのですが、この農奴制というのが酷いものでした。

今回は、この農奴制を中心に書いていくとしましょう


そもそも、農奴制というのは「本来」
古代奴隷制よりも自由な権利を持つ「はず」の農民で、

世界中の何処の国にも居た「土地を持たない農民」の形態の一つ。
農奴は個人の財産と婚姻の権利があるのですが、

土地の移動に関する権利を持たず、「土地に縛り付けられた」存在です。
土地保有者の「土地」に付属する資産だったわけですが、
これはあくまで「中世の農奴」
西ヨーロッパでは時代が下って行くにつれて姿を消していきました…が


東ヨーロッパでは事情が違ったのです。
特にロシアにおいては

中世ロシアにおいては「聖ユーリーの日」の前後に農民の移動の自由が認められていました。
しかし、領主に対して負債がある農民は移動の権利が行使できなかったので、
多数の農民が土地に拘束されていたそうです。

しかし、この頃は負債さえ返せば領主に移動を制限する権利は無く、
領主に与えられる逃亡農民の捜索権と身柄引渡請求権は一年間のみ有効と定められている上、

南の「ドン・コサック」に逃げ込めば身柄を引き渡されることもなかったそうです
(この頃もロシアは東コサックの軍事力をアテにしていたため、
習慣法を理由に「身柄引き渡しには応じない」と言われれば引き下がる他無かった)

1600年代には逃亡農民捜索権・身柄引渡請求権の機関が無期限に延長され、
逃亡農民をかくまった場合多額の罰金が定められましたが
帝政ロシアの時代に比べればまだまだマシです




その後、帝政ロシアが誕生すると、
「人頭税」が設定されました

「人頭税」は国民一人につき一定額課すもので、
その額には納税能力など一切関係なく、どのような収入があっても一定額でした

このような税金を課した理由は、単純に「軍事費」でした
北方大戦争を終えて列強の一つとなったロシアの軍事費を確保するために人頭税が始まったのです
人頭税の徴収は軍隊の農村配備によって配置された部隊によって行われました。
自分達の飯の種ですから、徴収も見逃しがない様きっちり行われました



さらに時代が下ってエカチェリーナ2世が即位すると、更に悪化していきます

エカチェリーナ2世は貴族に支持されてクーデターを起こした結果即位したので、
政策も(皇帝から引きずり降ろされないためにも)貴族優遇にせざるを得ませんでした
(本人は逆に農奴制を緩和することを提案しているが、貴族の猛反対にあっている)

その頃英国では産業革命が発生しており、
農民の都市への流出とそれに伴う食糧生産量の低下によって食料を輸入せざるを得ませんでした
そのためエカチェリーナ2世は英露通商条約を結び、輸出関税を引き下げ、
イギリスに対して食料の輸出を始めたのでした。

領主たちは西欧に食料を輸出すれば儲かる事に気づき、
農奴に対する搾取をさらに加速させていきました

いつ認められるようになったのかは分かりませんが、
農奴はついに土地とは別の「資産」として扱えるようになり「土地に拘束された農民」という定義すら崩壊してしまいました
当時の新聞には
「裁縫のできる28歳の娘売ります」「コックとして使える16歳の少年売ります」などという広告が掲載され
古代奴隷制と変わらない農奴市場が誕生していたことが伺えます

農奴はあくまで「移動と職業選択の自由がない農民」であって、土地ごと売買されることはあっても
農奴だけで売買されることは無かった。

農奴が土地、家畜、建物と同列の「資産」となったため、
農奴の主は土地を所有する封建領主だけだったはずが、「主人」という形に変わっていきました

当然、家族と引き離して売買することも出来れば
主人に不服申立てもすることは出来ない。
その上、主人には気に入らない農奴を「シベリア送り」にすることも認められた

家族と引き離されてシベリア送りにされた農奴たちに「家族でシベリアに送られたならば、主人の元で生活するよりどれだけ幸福であったか」と言わしめるほどこの頃の農奴の扱いはひどかった
(御存知の通り、シベリアは西ロシアに比べて農業もまともにできない上、冬には-40度になることなど当然で、そもそも帝政ロシア期は人がほぼ居ないため当然未開拓である)

逆に、貴族はどうかと言えば「ロシアで唯一の自由な身分」とされており、
租税、軍務を免除され、裁判は同僚のみによって裁かれ、
彼らを有罪とするには皇帝の許可が必要位という。分かりやすい特権階級であった

身分階級が「貴族」と「(農奴を含む)それ以外」などという有り様である。

エカチェリーナ2世の権力基盤が貴族からの支持であり、それを裏切れるほど強固なものではないため
ほぼ本人の意志に関係なく取り巻きの貴族によって政策が決められている有り様だった


更に時代が下り、
1850年辺りになると流石に農奴制も改善の兆しが見えてきた。


1825年にデカプリストの乱が発生。
これはナポレオン戦争でフランスなどへ行った兵士たちが
自国の悲惨な生活と比較して、自由主義と人権が唱えられる西欧との違いに衝撃を受けた事が発端とされ、
専制政治と農奴制の廃止、立憲代議制への意向を目的に反乱を起こしたが、
一日で鎮圧されるも後の二月革命などに影響を与えた

1861年、アレクサンドル2世が農奴解放令を発布したものの、
農地は無償で分与されるのではなく、
政府が規定する価格で、農民が負債を背負った上で地主から土地を購入しなければならなかった。
(これらの負債は1907年に支払い義務が停止した)

法的には農奴制は廃止されたが、負債と土地などの財産割り当てを理由として
農民の生活はかえって苦しくなったため暴動が各地で発生した。


そして一次大戦に入った後、「二月革命」が起きる。
(のですが、その前にクリミア戦争をやらなければ・・・)






かなりすっ飛ばし気味な上「本当にこの記事必要なのか?」といった感じなんですが、
ソビエトの生まれる原因としてよく挙げられますし、
ウクライナに関してはソビエトになってからも…

ロシア革命の前にクリミア戦争周りを書かねばなりますまい

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2014年4月11日金曜日

ロシアとウクライナ:列強の都合で消えたり現れたりする国家

さて、前回対戦車戦闘の話をするといったな
申し訳ない。アレは嘘だ



かなり評判と需要がありそうなので「ロシアとウクライナの歴史」でも書いてみようかと思います
(ただし、記事を書き終えた今更ながら、この記事は現在起こっている問題とあまり関係が内容にも思えます)

さて、8世紀頃のロシアとウクライナにおいては、「ルーシ」と呼ばれる国家があり、
これが今のウクライナの首都、キエフを首都とした国家を形成していました

「ルーシ」から「ロシア」という名前が付けられたと言われています。

10世紀にはルーシは国家の名前から国家集合体の名前に変わり、キエフ大公国とその周辺の小国家によって構成されるようになり、
後にロシアの基礎となるモスクワ大公国もその小国家の一つでした。
12世紀、モンゴル帝国のロシア侵攻によってルーシの国家は全てモンゴル帝国の支配下に組み込まれました。

そして、モスクワ大公国はモンゴル帝国の力を利用して勢力を拡大、ロシア・ツァーリ国に移行します。

時は15世紀、この頃キエフ公国(というか現在のウクライナ)は既にリトアニア、ポーランド、ロシア、クリミアによって分割されており、
今のウクライナの正当な先祖となる国家は存在しませんでした
(この場合のクリミアはクリミア・ハン国であってモンゴル帝国分割の結果発生したジョチ・ウルスが崩壊して残った国家の一つ)
1600年頃 クリミア・ハン国を中心としたクリミア周辺図
南にオスマン帝国、北東にモスクワ大公国(ロシア)
北西がポーランドとなっており、何処にもウクライナに相当する国家は無い

15世紀。ポーランドとリトアニアは連合国家となり、「ポーランド・リトアニア共和国」となり
今のウクライナに中る地域は「ポーランド・ウクライナ」と「帝政ロシア」の2つに分割されました
(あと、クリミア・ハン国)

そんな中、ウクライナ中等部で「コサック」という軍事集団が誕生。
これら「コサック」は欧州諸国の没落貴族と遊牧民と盗賊によって構成されていました。

コサックは2つに分けられ、西のポーランド・リトアニア寄りのドニエプル川を中心とする「ザポロージャ・コサック」
ウクライナの大半を占め、中心都市キエフも抱えているので、
こちらがウクライナの正当な先祖といえるでしょう

もう一つは東のドン川を中心とする「ドン・コサック」
ロシアのコサックというのはこちらで、その勢力圏は現在のロシア連邦と東ウクライナに含まれています

西のザポロージャ・コサックは西欧へ傭兵として赴き、
東のドン・コサックはクリミア・ハン国とオスマン帝国との争いを繰り広げるうちに強力になっていき
ポーランド・リトアニア共和国とロシア・ツァーリ国から正式な軍事組織として認められるようになりました。

これはコサックの軍事力をアテにし、有事の際は軍に編入することを条件に
コサック独自の勢力圏を認めるということで、
実質的に自治権に近いものを認めたと考えられます

しかしながら、ロシアもポーランド・リトアニアも軍事力を当てにする割には
コサックの自治権の縮小とコサックの領地の没収による自国領拡大を続けていき、
これに対する反乱が多数発生していました

ザポロージャ・コサックの反乱は次第に独立運動へと変化していき、
1649年頃、ポーランド・リトアニアへの反乱が成功し外交権を得て実質的な独立。
「ヘーチマン国家」と呼ばれる国家が誕生します。
ヘーチマン国家の勢力圏
見事にドニエプル川に沿っている。
黒海沿いからクリミア半島にかけては「クリミア・ハン国」の領域

この時の反乱の際、ポーランド・リトアニアと敵対していたロシアやオスマン帝国に支援を申し出た事が
長きに渡るモスクワのウクライナ支配の始まりだとも言われています


一方東のドン・コサックはロシアへの反乱に失敗。
自治権は無くなり、ドン・コサックの領地は全てロシア領となってしまいました
(現在独立編入運動が発生しているルガンスクはこの際ロシアに編入)


「ヘーチマン国家」は軍事的、政治的に完全な独立は難しかったため、
オスマンやロシアに保護を求め、ポーランドとの戦争でロシアとともに戦ったヘーチマンであったが、初代指導者の死後ドニエプル川を挟んで勢力が分裂、

ロシア・ポーランド戦争は主に現在のウクライナを戦場にして戦ったため、
国土は荒廃し、ヘーチマン国家は衰退していった

1667年、アンドルソヴォ条約によってロシア・ポーランド戦争は終結。
ヘーチマン国家の処遇に関しては「ドニプエル川から西はポーランドに、東はロシアに」という結果となり、
この時、実質的にヘーチマン国家は滅亡。
ロシアが獲得した、所謂「左岸ウクライナ」
現在の首都キエフも含まれる

先祖どうこう言ってましたが、形式的にもヘーチマン国家を継承しているわけではないんですよね


次回は、ついに帝政ロシアの登場。
食料の圧倒的搾取と産業革命に伴う飢餓輸出までをやろうかなと思います



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2014年4月9日水曜日

ディズニーで覚える対戦車戦闘(本物)

えーとですね、タイトルは事実ですが中身は対戦車戦闘の話です。



現代において、戦車と歩兵が戦う際にはロケットランチャーや無反動砲は欠かせません。
RPG-7やバズーカなんかが有名です。

しかし、それらが現れる以前の時代にはどのように戦車と戦っていたか。というお話です





戦車の登場は御存知の通り、一次大戦にまで遡ります
イギリス軍のマークI戦車
一次大戦は、死体の山を積み上げる戦いでした。
それまで、数千年間用いられてきた歩兵による突撃は塹壕と機関銃の組み合わせによってことごとく阻止され、
日露戦争において既に機関銃と塹壕の組み合わせの凶悪さは垣間見えたものの、
欧州諸国はそこから学ぶこと無く、
歩兵の突撃は無意味であると各国が気づいた頃には既に数百万単位の死体の山が出来上がっていました

世界ではじめて発生した先進国による国家総力戦は
双方の国力を限界まで使い、すり減らし、死体の山を更に積み上げる。

そんな中、塹壕を突破するためにとある兵器が生まれました。それが戦車です

「トラクターに装甲を貼り付けた物」だとよく言われますが、基本そんな感じです。
しかし、機関銃の攻撃を物ともせず、歩兵の突撃速度を低下させていた鉄条網を踏み潰し
塹壕を乗り越えて走るそれは
まさしく「鋼鉄の動く盾」

歩兵から見れば非常に頼りがいのある存在でした…が

戦車も無敵では有りません。機関銃には耐えられますが野砲には耐えられない。
塹壕のはるか後方で砲撃を行う砲兵の一部を戦車対策に回せば撃破できるという事が分かり、
前線に野砲が配備されましたが、
ただでさえ砲兵が足りない上、野砲も足りない状況では全ての前線に野砲を配置できませんでした。

しかし、歩兵のライフルが使うのは機関銃と同じ7.7mm弾。
これでは戦車の装甲に弾かれてしまいます
そこで砲兵でなく歩兵が運用する対戦車兵器「対戦車ライフル」が誕生します

ボーイズ対戦車ライフル
当時の歩兵のライフルが7.7mm弾を使う物がほとんどの中、
13.9mmや14.5mm等の大口径ライフルで戦車の装甲を貫通させ
中のエンジンや搭乗者等に加害することによって戦車を無力化、または弱体化させようとしたのです

M82バレットなどの対物ライフルはこれらの子孫といった所でしょうか

そして、タイトルに戻ってきます。
それは1937年のこと。一次大戦からかなり過ぎていますが、
歩兵が、それなりの距離から戦車を攻撃する手段は当時対戦車ライフルしかありませんでした。

1937年。英軍はボーイズ対戦車ライフルを採用し、
その対戦車ライフルを導入したカナダ軍が教育用に「ディズニー」に制作させたアニメがあります
アニメの感じを見てもらえばわかると思いますが、ディズニーで間違いないでしょう。

(正直、かなり分かりやすく動画になってるのですが英語な上軍事に興味の薄い人だと分かりにくいかも)

同じ動画はニコニコ動画にも上がっていて、一部コメントで字幕が付いているのでそっちのほうが見やすいかもしれません






さて、動画でも出てきましたが、このライフルの使い方などを述べていきましょう

この頃の戦車では対戦車ライフルでは基本的に戦車に有効な被害を与えられません。
弱点に当たればいいのですが、そんなに正確に狙えるものでも有りませんし…

また、口径が大きく、弾も大きく銃も重いです。
銃に弾を装填した状態で21kgもあります。弾薬1発1kgとかいう世界。

しかも、衝撃で数発撃ったら肩は痛くなるわ戦車の近く(100m)まで近づかないと当たらないわで
本当に使える武器なのか疑問になりますが、
軽装甲車にはある程度有効だったそうです。
PIATやバズーカが出てきたらそのまま溶鉱炉に投げられた程度の性能と戦果でしたが。

次回は対戦車ライフル以外の対戦車攻撃手段を紹介しましょう。

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2014年4月8日火曜日

英国面:おもちゃの対戦車迫撃砲

さて、前回まで迫撃砲に関して解説していたわけですが、
迫撃砲の中でも「スピガットモーター」と呼ばれる分類があります。
日本語で「差し込み式迫撃砲」といった感じです
典型的な「スピガットモーター」 砲口よりも弾頭が太いのが特徴
普通の迫撃砲よりも弾頭を安価に製造できてるため、一次大戦の内は使われてた訳ですが

普通の迫撃砲よりも弾頭が重く、速射性に乏しいため2次大戦頃には使い方が限定され始め、
いくつかの派生型を残して二次大戦後にはほぼ無くなってしまったわけです

その派生というのの一つが、「対潜迫撃砲」
対潜迫撃砲の代表的存在 英国の「ヘッジホッグ」

爆雷投射機よりさらに広範囲にばら撒き、進行方向正面に対しても投射出来ます。
ロシア軍では現在でも対潜迫撃砲を搭載しているようです

もう一つは、「ライフルグレネード」
M1ガーランドに22mライフルグレネードを装填
空砲を装填し、銃口からグレネードを差し込むことで使えるタイプのグレネードランチャーで
現代でも使われており、自衛隊は2006年に新たなライフルグレネードを採用しています
06式小銃てき弾

さて、話は変わりまして、時は二次大戦。

HEATの開発によって携行型対戦車兵器が進歩してきたころ
(HEATの解説は長くなるのでまた今度しましょう)

アメリカはバズーカ、ドイツはパンツァーシュレックとパンツァーファウストを開発して
歩兵による対戦車攻撃が今まで以上に容易になりました

M1バズーカ 
本来「バズーカ」と呼ばれるのはこの兵器の派生型のみ

                       
上がパンツァーファウスト
下がパンツァーシュレック

これらは、「HEAT」という仕組みを持った榴弾を敵戦車にぶつけるためのものですが、
英国でも同じように歩兵が戦車を攻撃できる兵器を作りました

それが「PIAT」である
PIAT
PIATは他国の対戦車兵器のように「無反動砲」や「ロケットランチャー」ではない。
PIATはスピガットモーター。迫撃砲なのだ




また、PIAT最大の特徴としては発射装薬を最小限に抑えるため、
弾体を発射するために「バネ」を用いていることにある





そう。バネを使用している。


別に閉鎖機構がどうとかファイアリングピンがどうとか言うわけではない。
純粋に、そして単純明快に「弾を発射するために」バネを使うバネ砲なのだ
砲身の中が見える状態のもの
巨大なバネが詰まっていることが分かる
実際には弾体に普通の迫撃砲と同じように発射薬は入っているのですがそれはあくまで補助的なもので反動を用いてバネを圧縮することで連続射撃を可能にしています

この機構を採用したことによって、
他の対戦車兵器では出来なかった「室内からの射撃」を可能にしています

B-10無反動砲を室内で射撃。SPGは室内射撃可能だが部屋が真っ白になる

ロケットランチャーや無反動砲は砲の後方に排気するため、この排気の熱で火傷したり、
衝撃で気絶したりすることがあるのです
後方確認せずにRPG-7を撃つとこうなる

それに比べてPIATは迫撃砲なので後方への排気もなく、
主にバネが使われるので煙も出ないので場所がバレにくいという利点がありました。

最も、建物の二階から撃とうとPIATを下に傾けると弾体が落ちますが。
射程は大体100m この頃の対戦車兵器としては十分なものだと思われます

因みに、最初使うときには必ずバネを縮める必要があったのですが、
バネを縮める際に背骨を痛める兵も多かったとか…

次回は、面白い作品を見つけたので対戦車兵器の進化とHEATの話でもしましょう。
お楽しみに。ハハッ

Monacoin:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年4月3日木曜日

非正規兵と正規兵の装備の違い:榴弾砲と迫撃砲2

ようやく迫撃砲の話ができます。因みに個人的に一番好きな兵器かもしれません。

迫撃砲の起源は「臼砲」まで遡ります

臼砲というのは、それ以外の大砲に比べて口径が大きく、短いのが特徴です
聖ヨハネ騎士団の臼砲。砲本体は3.3tもあり、砲弾は260kg
初期の臼砲は重い砲弾を壁にぶつけるための「投石機」的な役割が大きく、
砲も砲弾も非常に重い物でした。

17世紀あたりになると、榴弾を発射できるような臼砲が現れ、
壁にぶつけるにしろ、人間を狙うにしろ
軽い砲弾で高い威力を発揮できるようになりました。
(榴弾とは、砲弾の中に火薬を入れたもの。砲弾が当たると爆発するのはそのせい)

これにより臼砲は「普通の大砲に比べて軽量で持ち運びしやすい(つまり機動力が高い)
(但し、命中精度は悪く射程も短い)
という特徴を備え持つようになりました

その後、臼砲は2つの系統に分かれていきます

一つは、要塞や防御陣地を粉砕するために再び重量サイズ共に大きくなったタイプで
クリミア戦争(1854)に使われたマレット臼砲などがそれに当たります
マレット臼砲。口径91cmで砲単体で40トンもあり
砲弾も1.3トンある
このタイプの臼砲は分解することにより輸送されていましたが、
次第に車両で牽引したり、鉄道車両に載せたりするようになりました

13インチ列車臼砲
この系統の臼砲は更に巨大化を進め、60cm砲を搭載するカール自走臼砲に到達します

60cm砲を搭載するカール自走臼砲
マジノ要塞線を粉砕破壊し突破するために作られた

しかし、この重く、機動力が低いタイプの臼砲は二次大戦後一気に衰退します。
理由は非常に簡単。
破壊するべき要塞が無くなったからです。


そして、軽量で機動力が高いタイプの臼砲は日露戦争より「迫撃砲」として、
別の兵器として進化していきます。
英語だと臼砲も迫撃砲も同じ「Mortar」なんですけどね

日露戦争時に日本軍が「打ち上げ花火の容量で爆薬を的に届ける」という発想で
戦場において創りだしたのが迫撃砲の始まりだとも言われます

一次大戦時、ドイツ軍で使用された迫撃砲
一次大戦になると、塹壕と機関銃によってどんな多数の歩兵による突撃も阻止されるようになり、
機関銃を排除するために突撃前に数時間にわたって砲弾の雨を降らせても
退避壕に逃げられて、砲撃が終われば出てきて機関銃を配置し、
突撃が始まる頃には機関銃の再配置が終わっていたのです

そして、再配置が終わった所に突撃してきて再び死体の山が発生するという感じになります。

(退避壕とは、防空壕のように穴を掘って補強したもので、砲撃中はここに退避することで砲撃による被害を最低限に抑える)
右から左下にかけてがドイツの塹壕線 第一線だけでなく、後方にも第二線以降の塹壕が伸びているのが分かる
左上はイギリスの塹壕線。この間に死体の山が発生した


だったら、突撃する歩兵が機関銃の位置を把握してから直接機関銃手を狙って攻撃できればいいわけですが、
ライフルで撃って撃破できるくらいなら突撃はそもそも失敗しませんし、
大砲で吹き飛ばすにしても軽いものでも数百kgになり、歩兵が背負って移動できるものでは有りません。

そこで、迫撃砲を数人の歩兵で持って行き、機関銃の配置を目視で確認しながら砲撃するという手段が取られたわけです

このため、迫撃砲は「砲兵」でなく「歩兵」によって運用され、
現代でもほぼ全ての軍隊において砲兵隊でなく歩兵隊による運用がなされています

(砲兵はその名の通り後方からの長距離支援砲撃を主に行うのに対し、歩兵は前線で銃を使い戦闘を行う。迫撃砲は歩兵に随伴して歩兵が見える位置で砲撃を行う)


一次大戦で使われた「ストークス・モーター」は現代のものと外観も構造もほぼ変わらず、
二次大戦を経ても未だにほとんど構造が変わっていない兵器です
イギリスの迫撃砲「ストークス・モーター」

現在自衛隊で運用されている「L16 81mm迫撃砲」
筒と三脚という基本構造は変わらず、違うのは照準器くらいだろうか
さて、ここで迫撃砲の砲と砲弾の構造について少し確認しておきましょう。
砲も砲弾も、一次大戦の頃から殆ど変わっていません

迫撃砲の筒の中。つまり砲身。螺旋状の溝は掘られていない。
筒の底にファイアリングピン(砲弾に衝撃を与えて発車するための針)が見える

迫撃砲は基本的に螺旋状の溝(ライフリング)を持ちません。
迫撃砲弾。左側が下になり、右側を戦闘に飛んで行く。
右側に「羽」がついている
これは、砲弾が「羽」を持つためで、回転させずとも空気抵抗によって飛行姿勢が安定するためです
(ライフリングは先日紹介したように、回転させて『コマの回転効果』を発生させることで
弾の飛行姿勢を安定させて長距離に飛ばす技術なので、『羽』がある場合は不要)



その他に、迫撃砲の特徴としては「発射速度が速い」というものがあります
こちらは迫撃砲。砲弾がどんどん撃ち込まれていきます
10門もあればトラック一台分の砲弾が10分くらいで無くなることでしょう


対してこちらは榴弾砲。流石に迫撃砲よりは遅いですし、
迫撃砲は3人で運用できますが榴弾砲は10人ほど必要になります


迫撃砲は射撃準備が簡単で、榴弾砲が5分ほどかかるのに対し
迫撃砲なら移動してきて1分ほどで射撃を開始できます。

「歩兵が持って移動できる。つまり目立たない」
「直ぐに射撃準備ができて撤収も速い」
「命中精度は悪いがその分適当に撃って連射速度でカバーする」

さて、このような特徴で運用しやすいのは誰か。
非正規武装組織やゲリラなんかとしては

「すぐに砲撃を開始できて、一気に射撃して直ぐ逃げる」ということが出来ることに利点を見出すわけです

(動画は探したんですがちょっと見つかりませんでした)

榴弾砲を運用するには専門の知識と機材が必要で、
構造も複雑でメンテナンスも面倒になります



とまあ、武装勢力が射撃する動画は無いのでお詫びに探してる途中で見つけた動画を
紹介しましょう



こちらは動画タイトル通りで、よく見ると迫撃砲の弾を上下逆に装填してます。
飛んできて着弾するする方の信管を叩いてしまうのでそりゃ爆発もしますわ
確認ミスですね。正規軍なんかじゃこういうミスはしません。



不発で慌てたりはするようすが。
(ちなみに自分は不発弾を動画で見ても恐怖するようになりました ゲームのしすぎですかね)

他は、シリアのものが一本。


子どもたちが話しているすぐ後ろに迫撃砲が降ってきました。
合成かとも疑ったんですがそれにしては手が込みすぎです。

しかし、シリアは戦場が生活に近すぎますわ
子供を利用して「〇〇反対」なんて言ってる連中は分別してゴミ箱に入れたい位嫌いですが、
これはいくらなんでも…

この動画を見た後あの自爆した迫撃砲を見ると「ざまあww」といいたくなりますが
これは政府軍の砲撃で、上の自爆動画は反政府側なんですよねえ…

あともう一本。
結局、シリアで反政府側が迫撃砲を撃ってる動画は見つかったのですが…
利点である連射速度を生かせていなかったのでボツにしました。
まあ、仕方ない面もあります。反体制組織が手に入れられる迫撃砲と砲弾は質が悪く、
逆さまに装填しなくても暴発することも少なく有りません。
なので、正規軍のようにどんどん装填してどんどん射撃なんてことができないのです

それをやったらどうなるかといえば
こうなります。これはTalibanrと言われてますが詳細は不明です。
装填方向を間違えたわけでもないのにこうなる所が非正規軍クオリティ


次回は(もしかしたら)変な迫撃砲達を紹介するかもしれません

Monacoin:METHJYwxj2ms4ww2wwc4qg4nxQ9T8NFTnY



2014年4月1日火曜日

英国面:命尽きるまで核兵器を守る

核兵器というと、弾道ミサイルに載せた戦略核兵器を思い浮かべる方が多いと思いますが、
核兵器は何もミサイルだけに積むものでは有りません。

少なくとも、20世紀では。



世の中の核兵器は大きく分けて2つに分けられます
一つは「戦略核兵器」
ICBM、大陸間弾道ミサイルやSLBM 潜水艦発射弾道ミサイルに搭載されている核弾頭なんかは
全て戦略核兵器という扱いになります。

戦略核兵器は戦略目標を達成するために使用され、
戦場ではなく戦場より後方の地域で使われることが多いです

例えば、都市部や発電所、その他のインフラへの攻撃に用いて相手の国力と生産力を削る事で継戦能力を低下させたり
敵が反撃する前に敵の核戦力を撃破し無力化させるために使われます
潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」



500km以上の射程を持つものが戦略核兵器とされるそうですが、
威力や運用法によってはそうでない事も有ります。
分類が曖昧な核兵器に関しては実際の使い方次第ですね

もう一つは「戦術核兵器」
中短距離の弾道ミサイルや米軍が現在も配備している核爆弾(B61 B83など)がこれに当たります
現在も配備されている米軍のB61核爆弾

こちらは戦術目標を達成するために
戦場で敵の兵士等の戦力、前線指揮系統を撃破、混乱させるために使われます

味方まで巻き込まないように戦略核兵器よりも低威力で、B83などは搭載前に威力を調整できます

戦略核兵器は弾道ミサイルに留まらず、
巡航ミサイルや航空機爆弾、核魚雷、核砲弾、核地雷など様々なタイプが有ります

核兵器はその重さに比べて高威力で、
ソ連が物量作戦で押してきた際に待ちぶせ迎撃を行ったり
逆に侵攻前に砲撃を行うことで敵戦力を殲滅して進軍するという事を想定して
戦術核兵器は開発、配備されていきました


米軍のM65カノン砲によるW9核砲弾の射撃実験
1953年5月25日 ネヴァダ砂漠にて
この頃は残留放射線や放射線の人体に対する影響がまだあまり分かっておらず、
この砲撃の後に砲撃した地点に歩兵を徒歩で前進させるつもりであった。

元の記録映像にはこのカノン砲発射するために時限装置を仕掛けた後、近くの塹壕に入るところまで記録されている。
爆風さえ凌げればそのまま爆心地まで徒歩で移動するつもりだったのだろう

因みにこのW9核砲弾は広島に落とされた「リトルボーイ」とほぼ同威力だそうです


さて、今回の本題はとある戦術核兵器の話です



時は1950年代。ソ連がいつ攻めてくるかも分からなかった西ドイツにおいて、
ソ連の物量作戦に対抗しうる戦術核兵器が計画されました。


それは、「核地雷」でした。

地雷と言ってもセンサーなどで起爆するのではなく、
あらかじめ埋めておいて遠隔操作か時限装置で起爆するものでした。

大量破壊と放射性降下物を発生させることでドイツにおけるソ連軍の侵攻速度を遅くしようと考えたのです。
「イギリスが」

つまり、イギリスはドイツに核兵器を埋めようとしたのです。
しかも、「西ドイツに秘密で」

当事国に秘密で核兵器を秘密裏に西ドイツに埋めてしまおうと考えたのです
当然、バレた時の外交的リスクは計り知れません。


さて、話はちょっと変わりまして、
電子機器のバッテリーというやつは低温では動作不良を起こすもので、

極端な例ではありますが
火星探査機「オポチュニティ」は2010年、冬季に入り太陽光発電パネルの発電量が低下する時期に太陽の方向(南半球だったのでこの場合は北)を向くことに失敗し、
-100度という極寒をヒーター無しで耐え切ることが出来ず通信が途絶しました。

冷たいドイツの大地に埋めるのですから何かしらの方法で暖める必要があります。
断熱材等で核地雷を包む案もあったのですが採用されませんでした


さて、では核地雷においてはどのような方法でこれを解決したのか
それは




「生きた鶏で保温する」





というものでした。

何も鶏だけをそのまま入れるのではありません。
時限起爆装置の設定時間は8日だったので、8日間生きてればいいのです
そのために餌と水も一緒に核地雷の中に入れられました

鶏の体温であればバッテリーを含む電子機器を維持するのに十分な温度が得られると考えられたのです

鶏が何らかの原因(高確率で放射線障害ですが)で死んでしまった場合は核地雷を掘り返して鶏を交換すれば良いし、
8日間を過ぎた鶏はそのまま解体して美味しく食べてしまえばいいのです(絶対に食べたくないですけど)

核地雷は8日間掘り返されなければ自爆するように設定され、
英軍司令部までの有線ケーブルが引かれ、いつでも起爆できるようになっていました。
(因みに、所定の操作をせずにケーブルを切断したら10秒以内に鶏もろとも起爆するそうです)

この核地雷には「ブルーピーコック」という名前が付けられました。
青孔雀という意味があるそうです。鶏が関係してないとは思えませんが。

この核地雷の威力は約10kt。広島に落とされた「リトルボーイ」が15ktですから、結構な威力があります
ブルーピーコックのプロトタイプ。
この中に鶏を入れるつもりだったのだろうか



結局、鶏を入れることで決定し、ドイツに埋めるため10個の核地雷が発注されました…
が、


同盟国、というか他国の領土に無断で核兵器を埋めるという外交的リスクがあまりにも大きすぎるため量産と配備は中止されました。
どうも爆弾自体に技術的問題があったわけではないようです

その後試作されたブルーピーコックは核爆弾を抜いて保管されたそうな


この計画に関する書類は(西ドイツに知られたら絶対に激怒するので)長い間機密指定され、
国立公文書館で保管されていたのですが、


機密指定が解除されたため2004年4月1日に公開されたのです。

結局、ブルーピーコックは公文書館によるジョークだったのでした。

ええ。10年前の嘘です




















と思いたいのですが英国面はそんなに甘くない。
嘘であるのは間違いないですが、
嘘なのは「公文書館によるジョーク」という部分であって、

それ以外は全て事実です






実際に2004年4月1日にブルーピーコックに関する文書が公開された当時は

インターネット上などでは日付の事もあって「エイプリルフールのジョークだろう」
と思われていたようです

そのため、公文書館はエイプリルフールの冗談ではないという表明を出したそうな
その時のBBCの記事から引用すると

"It does seem like an April Fool but it most certainly is not. The Civil Service does not do jokes."



だそうです。いくら公共放送で
「車を頻繁に破壊したり」「コメディ番組で民放のオープニングパクったり」「首相がそのコメディ番組のネタを公式な場で使ったり」する国でも

公文書館は立場的にジョークなんて言っちゃいけない立場ですしね




(実はこのネタ、出せるまで待ってた)

2014年3月30日日曜日

非正規兵と正規兵の装備の違い:榴弾砲と迫撃砲1

さて、前回は間接射撃についての解説でしたが
今回は実際に間接射撃を行う砲に関しての解説です

榴弾砲の歴史は、その名の通り榴弾が開発された辺りが始まりでしょう

現在の榴弾砲はそれまでの大砲の種類として、
「野砲」「カノン砲」という種別の大砲の役割を吸収しました。

野砲は、車輪を装着した大砲です
フランスの12ポンド野砲
間接射撃が可能になる時代の前の野砲です

帝国陸軍 九〇式野砲
間接射撃が可能な時代の野砲は榴弾砲との違いが少ない


野砲は大砲が登場してすぐからあったといえるもので、いつ誕生したのかもよく分かりません
「車輪が装着されていて、移動が簡単」という特徴さえあれば(日露戦争までは)
全部野砲に分類しても問題ないかと思います
日露戦争後はこれに「高い角度での射撃ができない」というのが加わります

車輪を装着したのには移動を簡単にする他にとある理由がありました
車輪でない方法で地面と接し、地面に大砲を固定してしまうと反動がうまく吸収できず、
大砲が破損してしまう可能性があったのです

実際の射撃動画。発射した時に砲全体が後退していることが分かる

車輪によって後退したら同じ所まで押して戻して、再度大砲の位置を調整して狙いを付ける必要があります。
これでは射撃速度も落ちて、何度か射撃しながら砲の向きを微調整しながら撃つなんて事ができないので、これを解決するために「駐退機」が生まれました

米軍のM777榴弾砲 砲全体は後退せず、砲身だけ後退しているのが分かる

駐退機は油圧を用いることで砲身だけを後退させ、砲全体を後退させないことで
継続して高い頻度での射撃と正確な砲撃を可能にしました


次にカノン砲と言うやつは、正直分類がはっきりしておらず、
先述した野砲と被る部分もあるので色々と省きますが。

榴弾砲と比較して低い角度で射撃し、砲弾がより高速で、かつ短射程
といった感じです。
因みに野砲もカノン砲も現在運用されているものは殆ど無く、
その役割のほとんどが榴弾砲と迫撃砲に吸収されてしまいました
(名前が榴弾砲になっただけで実際はかつての野砲やカノン砲と変わらない なんて理由もありますが)

いくつかの発展途上国では未だに野砲が使われているらしく、
北朝鮮において、1940年代のソ連製野砲「ZiS-3」を最近でも使っていることが確認されています。
北朝鮮軍のZiS-3 ソ連の名作野砲ではあるが今年で72歳になる。
(この画像は合成らしいのですが、配備運用されているのは事実のようです)

次は榴弾砲です

先述した通り、榴弾砲は「野砲」と「カノン砲」を吸収した役割を持っており、
主に間接射撃を行い、カノン砲より長射程で30kmほどの射程を持ち、
運用するためには専門知識が要求されます
(この動画、非常に揺れます 注意してください)
自衛隊のFH-70榴弾砲の空砲射撃。
射撃準備が終わるまでに2分程かかっている
実際は弾薬を運んできたりして最低でも5分程かかると思われる
撤収にも5分ほどかかると思われる

その他の特徴として、「野砲に比べて射撃準備に時間が掛かる」という特徴があります。
「足」を展開するために準備時間と撤収時間が長くなるのですが、
「対砲兵レーダー」なるものが開発されてしまった現代において、
砲撃した後その場に留まり続けることは敵の反撃を受ける可能性が高まることを意味しています
(対砲兵レーダーとは、レーダーで砲弾の速度と軌道を捉えて記録し、
弾道学に基づいて計算することで敵が砲弾を発射した地点を予測する装置)


このため「撃って直ぐ逃げる」という事が要求されることもあるので、
榴弾砲を車両に乗せて直ぐ逃げられる「自走砲」なるものも在るわけです
米軍のM109自走砲 扉を開ける必要があるくらいで、
移動と射撃の前に準備は必要ない

運用、射撃、観測、補給、その他もろもろが大規模になってしまう榴弾砲に対して、
非正規軍でも運用しやすい砲があります。それが「迫撃砲」です…が、これはまた次回


(迫撃砲の話するために俺は何を長々と書いているのやら)

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