本来の予定なら次はシリアの組織紹介で政府軍を紹介するところなんですが、
今日はとあるアニメを見て思い出した英国面について書きたいと思います
シリアの記事は毎回書くのに時間掛かるんで、土曜日の日中に書きます
さて、今日の英国面は「挑戦的な」という名前を与えられ、
新しい航空戦の時代を読み間違えてしまった英国製戦闘機のお話
その名前はBoulton Paul Defiant(ボールトンポール デファイアント)
ボールトンポール デファイアント
というか変わり者過ぎます。
この戦闘機の特徴、それは「後ろ向きにしか攻撃できないこと」にあります
正確には後ろ向きだけではないのですが、それに関してはこれから解説しましょう
時は1935年、
イギリス空軍は一次大戦で活躍したブリストルファイターの設計思想である、
「旋回機銃を備えた単発(エンジンひとつ)複座(二人乗り)戦闘機」という仕様要求を出した。
要求仕様を完璧にこなしつつかなり早く完成させたため、デファイアント採用された
そう、要求仕様には合っていたのだ。
しかし、要求仕様が間違っていたのだ
旋回機銃、つまり後部機銃は普通大型かつ機動性の低い爆撃機や攻撃機に搭載されるが、
デファイアントは爆弾も積めず魚雷も載せられない。純粋な戦闘機である。
デファイアントの旋回機銃は、機体後方から上面、左右に対しては撃てるのですが機体の真正面には撃てないのです
1940年、ドイツとの戦争が始まりイギリス周辺海域での哨戒任務を実施し、
オランダ沖で敵の哨戒機を撃墜。
ダンケルク撤退にも参加して65機を撃墜するというかなり良い戦果を上げている。
これが何故かといえば、見た目が同じイギリス軍の戦闘機、ハリケーンに似ていたが故に
普通の戦闘機なら弱点である後ろにドイツ軍の戦闘機がついた所、
デファイアント後部機銃の餌食にされた。一番攻撃しやすい所なので落とされて当然である
ドイツ軍パイロットも、まさか戦闘機なのに後ろ向きに機銃がついてるとは思わなかっただろう
イギリス軍の戦闘機 ハリケーンMkI |
「後ろ向きに撃てる戦闘機」の話は程なくドイツ軍が知る所となり、その対策が考えられた
そして、出された結論は
「敵機に対して正面から攻撃せよ」「真後ろにつかず、機体の腹を狙え」
最早、戦闘機に対する攻撃法とはかけ離れていました
1940年の夏にはドイツ軍のイギリス本土上陸作戦であるアシカ作戦(ドイツ語読みでゼーレーヴェ作戦とも)の前段階として、ドイツ空軍による制空権の獲得のために、
ドイツ空軍をイギリスに派遣。所謂「バトル・オブ・ブリテン」が発生します
この時もデファイアントは使われたのですが、
この頃には前述の対策が知れ渡っており、1機も撃墜できずに出撃したうちの半数以上が撃墜されるという有り様
1940年の秋ごろには既に戦闘機としての仕事はなくなっていました。
地上で対空機銃として使ってたほうがよっぽど有益だと言われたとか
では、そもそも何故コンナモノを英国は作ってしまったのか
まず、元のコンセプトであるブリストルファイターを確認してみますと、
複座で旋回機銃がついた戦闘機であるところに違いはないのですが、
パイロットが使える固定武装を持つため、ブリストル・ファイターはなんと正面に攻撃できるのです!
しかも、一次大戦の頃の戦闘機は相対的に遅く、旋回機銃でも十分狙えるような速度でした。
(といってもブリストル・ファイターにおいては旋回機銃はオマケで、メインはパイロットの操作する正面固定の機銃でした)
それでもそれなりに狙えるため、ドイツの戦闘機にとっては脅威でした。
その上、機動力は普通の戦闘機と変わらず前にも後ろにも撃てるという恐るべき戦闘機だったのです
では、デファイアントはどうでしょう
一次大戦のような300馬力以下のエンジンなんて最早戦闘機では使われなくなり、
1000馬力以上が普通となり、機体の全金属化により7.7mm機銃1つでは敵機を撃墜するのは難しくなり、イギリス空軍でも7.7mmを8や12もつけるようになった
戦闘機自体の速度も200km前後から一気に500km前後まで上がった。
ブリストル・ファイターは他の戦闘機と変わらない機動力を持ち合わせていたが、
デファイアントは機銃を複数装備する関係上、旋回機銃に油圧ポンプが必要になったため、
同じエンジンを搭載する戦闘機に比べ1000kg近くも重くなり最高速度も低下、
しかも機銃でうまく狙うためには回避運動も出来ないため
敵からすれば当てやすいことこの上ない
英国は、古い思想で戦おうとしてしまったのかもしれません
その割には正面固定の機銃を付けなかったのが不思議ですが。
0.1Monaでもいいので寄付していただけると、記事を書き続ける原動力になります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo
この時もデファイアントは使われたのですが、
この頃には前述の対策が知れ渡っており、1機も撃墜できずに出撃したうちの半数以上が撃墜されるという有り様
1940年の秋ごろには既に戦闘機としての仕事はなくなっていました。
地上で対空機銃として使ってたほうがよっぽど有益だと言われたとか
では、そもそも何故コンナモノを英国は作ってしまったのか
まず、元のコンセプトであるブリストルファイターを確認してみますと、
複座で旋回機銃がついた戦闘機であるところに違いはないのですが、
パイロットが使える固定武装を持つため、ブリストル・ファイターはなんと正面に攻撃できるのです!
しかも、一次大戦の頃の戦闘機は相対的に遅く、旋回機銃でも十分狙えるような速度でした。
(といってもブリストル・ファイターにおいては旋回機銃はオマケで、メインはパイロットの操作する正面固定の機銃でした)
それでもそれなりに狙えるため、ドイツの戦闘機にとっては脅威でした。
その上、機動力は普通の戦闘機と変わらず前にも後ろにも撃てるという恐るべき戦闘機だったのです
では、デファイアントはどうでしょう
一次大戦のような300馬力以下のエンジンなんて最早戦闘機では使われなくなり、
1000馬力以上が普通となり、機体の全金属化により7.7mm機銃1つでは敵機を撃墜するのは難しくなり、イギリス空軍でも7.7mmを8や12もつけるようになった
戦闘機自体の速度も200km前後から一気に500km前後まで上がった。
ブリストル・ファイターは他の戦闘機と変わらない機動力を持ち合わせていたが、
デファイアントは機銃を複数装備する関係上、旋回機銃に油圧ポンプが必要になったため、
同じエンジンを搭載する戦闘機に比べ1000kg近くも重くなり最高速度も低下、
しかも機銃でうまく狙うためには回避運動も出来ないため
敵からすれば当てやすいことこの上ない
英国は、古い思想で戦おうとしてしまったのかもしれません
その割には正面固定の機銃を付けなかったのが不思議ですが。
0.1Monaでもいいので寄付していただけると、記事を書き続ける原動力になります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo
0 件のコメント:
コメントを投稿