2014年2月5日水曜日

和平交渉が進むシリア紛争 しかし、何故こんな事に?   5分で分かるかもしれないシリア紛争

さて、最近シリアが色々と話題になりますが、このシリアで何故紛争が発生しているのかを、
できるだけ分かりやすく解説していきます

基本的なところをまとめていきますと以下の様になります






シリアは、1962年以来非常事態法が行われており、憲法の国民の保護は停止されていた
現与党、バアス党は1963年のクーデターから一党独裁による独占的な権力を持っていた。
当然、2014年現在も政府で権力を握っているのはバアス党である。


そこから時は流れ2011年

2010年12月、チュニジアから発生した「アラブの春」と言われる中東を中心にしたデモや抗議活動の連鎖的発生、
それに影響されてか、シリアでもTwitterやFacebookで「怒りの日」と称するデモの呼びかけが行われ、
2月5日に実行され、小規模なものであったが、
数百名が集まり、シリア当局は多数の人々を逮捕した
この逮捕によりデモ押さえつけるどころか一気に拡大、
3月には国内で1万名、国外の支援でもも数千人規模まで拡大したが、
治安部隊がこれを解散させようとしたが失敗。

この後3月中に軍隊が投入され、発砲して死者が発生、
これにより更にデモは人数を増していき、4月までに100人以上が死亡した
4月には非常事態法を撤廃する議案が承認され、7月には一党制が終了
デモ隊の要求の内、2つが達成された

しかし、デモに対する弾圧は悪化していき、8月までに1300人、4月22日だけで100人以上が死亡したとされている
デモは目標を達成したにも関わらず継続され、
目標が「大統領の退陣(できれば処刑)」に変わっていきます

この頃、政府軍の一部が離反し「自由シリア軍」を結成、
2012年7月より大規模な先頭を開始する。

これによりシリアの反政府活動は「平和的なデモを中心にしたもの」から「武力衝突」
つまり、内戦へと変わってしまう
平和的なデモはこの頃から次第に行われなくなり、国外脱出によって難民が発生し始める


最初は反政府軍が圧倒しており、「このまま政府が倒れて終わりかなー」とか思ってたんですが、
2013年の4-5月頃、どうも政府軍側に歴戦の武装組織ヒズボラが参加したみたいで、
戦力が拮抗し泥沼化、死者だけが増えていき終了はいつまで経っても見えてこない

泥沼過ぎて不毛なのでとりあえず和平交渉開始した←今ここ


といった感じになります。










しかしながら、この和平交渉。どうも和平で終わりそうにないんですよね
何故かといえば割と簡単

和平というのは、どちらかが明らかに負ける事が分かっている時か、
双方が妥当な落とし所を見つけた時のみ発生するもの



反体制派の目標は
大統領を政治の世界から引き摺り下ろしてそれ相応の処分をすること

政府側の目標は
現在の政治体制を保ちつつ内戦を終了させる
といった有り様で、

一進一退泥沼で膠着している現在の状況では、どちらも譲歩しないものと思われます
自分は落とし所が見つからずこのままgdgdのまま続いていくでしょう


次回は、シリア紛争の勢力関係や詳細な敵対関係に関して解説していきます




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1 件のコメント:

  1. 良い試みだと思うのですが日本語の間違いが多いのが気になります。

    例えば
    >2月5日に実行されたがこれは小規模なものであったが、

    もう少し日本語表現・文法に気をつけて書かれるとなおよいと思います。
    がんばってください。

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