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2014年4月11日金曜日

ロシアとウクライナ:列強の都合で消えたり現れたりする国家

さて、前回対戦車戦闘の話をするといったな
申し訳ない。アレは嘘だ



かなり評判と需要がありそうなので「ロシアとウクライナの歴史」でも書いてみようかと思います
(ただし、記事を書き終えた今更ながら、この記事は現在起こっている問題とあまり関係が内容にも思えます)

さて、8世紀頃のロシアとウクライナにおいては、「ルーシ」と呼ばれる国家があり、
これが今のウクライナの首都、キエフを首都とした国家を形成していました

「ルーシ」から「ロシア」という名前が付けられたと言われています。

10世紀にはルーシは国家の名前から国家集合体の名前に変わり、キエフ大公国とその周辺の小国家によって構成されるようになり、
後にロシアの基礎となるモスクワ大公国もその小国家の一つでした。
12世紀、モンゴル帝国のロシア侵攻によってルーシの国家は全てモンゴル帝国の支配下に組み込まれました。

そして、モスクワ大公国はモンゴル帝国の力を利用して勢力を拡大、ロシア・ツァーリ国に移行します。

時は15世紀、この頃キエフ公国(というか現在のウクライナ)は既にリトアニア、ポーランド、ロシア、クリミアによって分割されており、
今のウクライナの正当な先祖となる国家は存在しませんでした
(この場合のクリミアはクリミア・ハン国であってモンゴル帝国分割の結果発生したジョチ・ウルスが崩壊して残った国家の一つ)
1600年頃 クリミア・ハン国を中心としたクリミア周辺図
南にオスマン帝国、北東にモスクワ大公国(ロシア)
北西がポーランドとなっており、何処にもウクライナに相当する国家は無い

15世紀。ポーランドとリトアニアは連合国家となり、「ポーランド・リトアニア共和国」となり
今のウクライナに中る地域は「ポーランド・ウクライナ」と「帝政ロシア」の2つに分割されました
(あと、クリミア・ハン国)

そんな中、ウクライナ中等部で「コサック」という軍事集団が誕生。
これら「コサック」は欧州諸国の没落貴族と遊牧民と盗賊によって構成されていました。

コサックは2つに分けられ、西のポーランド・リトアニア寄りのドニエプル川を中心とする「ザポロージャ・コサック」
ウクライナの大半を占め、中心都市キエフも抱えているので、
こちらがウクライナの正当な先祖といえるでしょう

もう一つは東のドン川を中心とする「ドン・コサック」
ロシアのコサックというのはこちらで、その勢力圏は現在のロシア連邦と東ウクライナに含まれています

西のザポロージャ・コサックは西欧へ傭兵として赴き、
東のドン・コサックはクリミア・ハン国とオスマン帝国との争いを繰り広げるうちに強力になっていき
ポーランド・リトアニア共和国とロシア・ツァーリ国から正式な軍事組織として認められるようになりました。

これはコサックの軍事力をアテにし、有事の際は軍に編入することを条件に
コサック独自の勢力圏を認めるということで、
実質的に自治権に近いものを認めたと考えられます

しかしながら、ロシアもポーランド・リトアニアも軍事力を当てにする割には
コサックの自治権の縮小とコサックの領地の没収による自国領拡大を続けていき、
これに対する反乱が多数発生していました

ザポロージャ・コサックの反乱は次第に独立運動へと変化していき、
1649年頃、ポーランド・リトアニアへの反乱が成功し外交権を得て実質的な独立。
「ヘーチマン国家」と呼ばれる国家が誕生します。
ヘーチマン国家の勢力圏
見事にドニエプル川に沿っている。
黒海沿いからクリミア半島にかけては「クリミア・ハン国」の領域

この時の反乱の際、ポーランド・リトアニアと敵対していたロシアやオスマン帝国に支援を申し出た事が
長きに渡るモスクワのウクライナ支配の始まりだとも言われています


一方東のドン・コサックはロシアへの反乱に失敗。
自治権は無くなり、ドン・コサックの領地は全てロシア領となってしまいました
(現在独立編入運動が発生しているルガンスクはこの際ロシアに編入)


「ヘーチマン国家」は軍事的、政治的に完全な独立は難しかったため、
オスマンやロシアに保護を求め、ポーランドとの戦争でロシアとともに戦ったヘーチマンであったが、初代指導者の死後ドニエプル川を挟んで勢力が分裂、

ロシア・ポーランド戦争は主に現在のウクライナを戦場にして戦ったため、
国土は荒廃し、ヘーチマン国家は衰退していった

1667年、アンドルソヴォ条約によってロシア・ポーランド戦争は終結。
ヘーチマン国家の処遇に関しては「ドニプエル川から西はポーランドに、東はロシアに」という結果となり、
この時、実質的にヘーチマン国家は滅亡。
ロシアが獲得した、所謂「左岸ウクライナ」
現在の首都キエフも含まれる

先祖どうこう言ってましたが、形式的にもヘーチマン国家を継承しているわけではないんですよね


次回は、ついに帝政ロシアの登場。
食料の圧倒的搾取と産業革命に伴う飢餓輸出までをやろうかなと思います



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