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2014年3月6日木曜日

英国面な兵器:謎の木工品

今日は英国面で行こうと思います。
書くのが楽なんですよ。調べる時間が短くて済みますし。
その割に人気な気もしますし。

さて、今回は分かる人は既にタイトルでお気づきだと思います。
今回紹介するのは「デ・ハビランド DH98 モスキート」です


de Havilland DH.98 Mosquito




時は1930年台半ば。ファシズムが台頭し、ナチス・ドイツが誕生。外交政策で高圧的な態度を取り
欧州全体に不穏な空気が漂っていた頃。

航空機メーカー、デ・ハビラント社では英国航空省より新型爆撃機開発の契約を獲得し、
新型爆撃機を開発することになったが、
デ・ハビラント社は航空省との契約を長い間結んでいなかった上、
軍用機なんて作ったのは一次大戦の頃に契約した練習機だけで、
最近ようやく久々に受注した軍用練習機が試験を終えて量産に入った段階で、
その量産もうまく行っているとは言えないものであった

そんな中で、航空省から出された要求は
航続距離:4800km 爆装搭載量:1800kg
巡航速度:4600mで443km/h
さらに、短い航続距離で3600kgの搭載量という要求も出された

そこまで難しい内容ではなかったが、
他の航空会社は機体に軽金属を採用し、機銃で防御するという普通の選択肢を取り、開発を進めたが
デ・ハビラント社には、全金属製航空機の開発実績自体が無かった。






だから木を選んだ。



主翼や機体が木製なのは複葉機時代の航空機だと思う方も居るかもしれないが、
だがデ・ハビラント社には(比較的)高速な木製単翼航空機の開発実績があった。
しかし、それでも350km/h程度。

450km/hまで速度を上げられないと誰もが思っていた。

デ・ハビラント社の人間以外は。


エンジンは二次大戦中最大の傑作と名高い
「ロールスロイス マーリン」エンジンを使用することに決まり、

旧式の木製旅客機を改造してマーリンエンジンを搭載し、機関銃座や機関銃要員等を載せて飛行試験したものの
至って平凡な性能しか出せなかった。
しかし調整を重ね、重い機銃を撤去していくうちに一つの考えを思いつく。

「もしかしたら、敵の戦闘機すら追いつけない速度で飛行し、
防御機銃も全く必要ない高速爆撃機が作れるのではないか」

という「高速爆撃機思想」が誕生した。
早速この発想を元に再設計が行われ、
結果、1800kgの爆弾を積んだ状態で最高速650km/hという試算が出た。

1938年、この木製爆撃機のプランを航空省に提出したが、相手にされなかった。
いくら木製航空機の経験が豊富だからといって、
木製航空機はいくら何でも時代遅れ過ぎであると一蹴されたのである

当時の爆撃機は、
敵の戦闘機の攻撃にある程度耐えられるだけのボディが必要だと考えられいた。
また、あまりにも斬新すぎる発想故に実際に作れるのかどうか怪しまれたのだ。


デ・ハビラント社は戦時中に鉄やアルミニウムが不足している状態でも木材資源は使える上、
戦時中には暇になる木工家具職人を使って製造できるという
微妙に後ろ向きなメリットも主張したが、航空省は聞き入れてくれなかった。

デ・ハビラント社はこの計画に何ら問題はないとして、自費による独自開発を決定した。
その後、航空省は高速爆撃機思想に理解を示したフリーマン空軍大将の支持もあり、
1940年3月、試作機を含む50機を発注した。

しかし、その頃既にポーランドはロシアとドイツに踏み潰されており、
イギリスとフランスはそれを受け宣戦布告、
英軍は海外派遣軍を編成、フランスに派遣し、どちらの国も戦時体制に入り始めていた。

宣戦布告後の半年以上、奇妙なことに殆ど戦闘が発生していなかったが、
1940年5月、突如ドイツ軍はフランスへの侵攻を開始。
重要先進国であり、列強の一角であるフランスが僅か一ヶ月足らずでドイツに占領され、
その機動力を活かした圧倒的な侵攻能力に世界は驚愕し、恐怖した。

イギリス軍もその被害を免れず、ダンケルク撤退にて兵士30万人の撤退には成功したものの、
戦車や火砲等の重装備どころか、歩兵の小火器すらも置いてきてしまったため
その後のイギリスでは武器不足が深刻化。

更にいつ攻めてくるかもわからないナチス・ドイツに対する恐怖感も重なり、
国家全体でドイツの攻撃に抵抗する術を確保すべく、

有り余った銃剣を鉄パイプに溶接しただけの「ホーム・ガード・パイク」だの
水道管に黒色火薬を詰めただけの「急増迫撃砲」だの、
手間がかからずに生産できるものをどんどん作っていました
(正直、英国人は日本の竹槍を笑えないと思う)

ダンケルク撤退では戦闘機も多数失い、ドイツに対して十分に防衛できるかもわからないのに
侵攻作戦に使う新型爆撃機の開発なんて出来るわけがありません。

デ・ハビラント社にも既存の金属製航空機の生産が命じられました。
7月には開発を再開し、試作機の開発を急いでいる間にも
ドイツはイギリスへの上陸作戦の前に、制空権の獲得を目的とした航空戦が始まり
「バトル・オブ・ブリテン」が発生します

デ・ハビラント社も影響を免れず、工場の稼働率が75%に落ちる中でも開発を続け、
11月には試作機が初飛行。

設計当初の予想である650km/hを大きく超えて、660km/hという最高速をたたき出し、
当時英空軍で採用されていた戦闘機、スピットファイアを上回る速度を出しました。

理由としては、木材を使ったことによる軽量化に加え、
リベットなども使わず、継ぎ目一つ無いモノコック構造の合板による空気抵抗の低下の効果があったとも言われています

当時、爆撃機が500km/hを超えられないのが普通である中、
絶対に追いつけないはずの戦闘機すらも追い越す速度を手に入れた爆撃機は、
当然ドイツ軍の戦闘機にも追いつけないと予想され、
その高性能ぶりから航空省は可能な限りの生産を要求します。

1942年5月には量産機が英空軍に引き渡され、その高性能を発揮しました

強力なエンジンに軽い機体、継ぎ目一つ無い空気抵抗の少ない機体は
予想通り、ドイツ軍が迎撃に上がっても殆ど追いつけず、すぐに逃げられてしまいました。

1943年には最高速試験が行われ、最軽量状態にて
707km/hをたたき出します。


結局、大戦末期にドイツ空軍がジェット戦闘機を投入するまでモスキートは世界最速の航空機であり続けました。
この木工品に対して、誰かがこう言ったそうです。


「The wooden wonder」(木造機の奇跡)






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