このブログは記事の区切りがつく度投稿しているので、最初から読む場合は投稿日順

つまり古い順に読むことをおすすめします


左にあるラベル毎に続き物の話をまとめています

2014年3月30日日曜日

非正規兵と正規兵の装備の違い:榴弾砲と迫撃砲1

さて、前回は間接射撃についての解説でしたが
今回は実際に間接射撃を行う砲に関しての解説です

榴弾砲の歴史は、その名の通り榴弾が開発された辺りが始まりでしょう

現在の榴弾砲はそれまでの大砲の種類として、
「野砲」「カノン砲」という種別の大砲の役割を吸収しました。

野砲は、車輪を装着した大砲です
フランスの12ポンド野砲
間接射撃が可能になる時代の前の野砲です

帝国陸軍 九〇式野砲
間接射撃が可能な時代の野砲は榴弾砲との違いが少ない


野砲は大砲が登場してすぐからあったといえるもので、いつ誕生したのかもよく分かりません
「車輪が装着されていて、移動が簡単」という特徴さえあれば(日露戦争までは)
全部野砲に分類しても問題ないかと思います
日露戦争後はこれに「高い角度での射撃ができない」というのが加わります

車輪を装着したのには移動を簡単にする他にとある理由がありました
車輪でない方法で地面と接し、地面に大砲を固定してしまうと反動がうまく吸収できず、
大砲が破損してしまう可能性があったのです

実際の射撃動画。発射した時に砲全体が後退していることが分かる

車輪によって後退したら同じ所まで押して戻して、再度大砲の位置を調整して狙いを付ける必要があります。
これでは射撃速度も落ちて、何度か射撃しながら砲の向きを微調整しながら撃つなんて事ができないので、これを解決するために「駐退機」が生まれました

米軍のM777榴弾砲 砲全体は後退せず、砲身だけ後退しているのが分かる

駐退機は油圧を用いることで砲身だけを後退させ、砲全体を後退させないことで
継続して高い頻度での射撃と正確な砲撃を可能にしました


次にカノン砲と言うやつは、正直分類がはっきりしておらず、
先述した野砲と被る部分もあるので色々と省きますが。

榴弾砲と比較して低い角度で射撃し、砲弾がより高速で、かつ短射程
といった感じです。
因みに野砲もカノン砲も現在運用されているものは殆ど無く、
その役割のほとんどが榴弾砲と迫撃砲に吸収されてしまいました
(名前が榴弾砲になっただけで実際はかつての野砲やカノン砲と変わらない なんて理由もありますが)

いくつかの発展途上国では未だに野砲が使われているらしく、
北朝鮮において、1940年代のソ連製野砲「ZiS-3」を最近でも使っていることが確認されています。
北朝鮮軍のZiS-3 ソ連の名作野砲ではあるが今年で72歳になる。
(この画像は合成らしいのですが、配備運用されているのは事実のようです)

次は榴弾砲です

先述した通り、榴弾砲は「野砲」と「カノン砲」を吸収した役割を持っており、
主に間接射撃を行い、カノン砲より長射程で30kmほどの射程を持ち、
運用するためには専門知識が要求されます
(この動画、非常に揺れます 注意してください)
自衛隊のFH-70榴弾砲の空砲射撃。
射撃準備が終わるまでに2分程かかっている
実際は弾薬を運んできたりして最低でも5分程かかると思われる
撤収にも5分ほどかかると思われる

その他の特徴として、「野砲に比べて射撃準備に時間が掛かる」という特徴があります。
「足」を展開するために準備時間と撤収時間が長くなるのですが、
「対砲兵レーダー」なるものが開発されてしまった現代において、
砲撃した後その場に留まり続けることは敵の反撃を受ける可能性が高まることを意味しています
(対砲兵レーダーとは、レーダーで砲弾の速度と軌道を捉えて記録し、
弾道学に基づいて計算することで敵が砲弾を発射した地点を予測する装置)


このため「撃って直ぐ逃げる」という事が要求されることもあるので、
榴弾砲を車両に乗せて直ぐ逃げられる「自走砲」なるものも在るわけです
米軍のM109自走砲 扉を開ける必要があるくらいで、
移動と射撃の前に準備は必要ない

運用、射撃、観測、補給、その他もろもろが大規模になってしまう榴弾砲に対して、
非正規軍でも運用しやすい砲があります。それが「迫撃砲」です…が、これはまた次回


(迫撃砲の話するために俺は何を長々と書いているのやら)

Monacoin:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo


2014年3月27日木曜日

大砲と間接射撃

さて、前回「ライフルによって銃と砲の射程は大幅に伸びた」という話をしましたが
射程が伸びたことによって新たな問題が生まれました。

それまでの大砲が1km以下の射程だったのに対し、ライフリングを入れた大砲は
射程が5kmを超えてしまったのです

何故5kmを超えるとマズいのか。簡単な事です
「地平線の向こうに砲弾を届けられるから」です

今までは砲から直接敵が見えていたので、双眼鏡でも使いながら射撃してりゃよかったのですが、
ついに地平線の向こうまで砲弾が届くようになり、砲の地点から直接見て撃てなくなったのです

当然、射程が伸びただけであって別に最大射程で撃たなければならないというわけでは有りませんが

「相手が反撃できない状況を作り出し一方的に叩く」というのは戦闘の基本で、
その基本に従うなら相手の射程外から一方的に砲弾を撃ちこめば基本的に勝ったも同然です

世の中には大規模投石機の頃から千年以上研究を重ねてきた「弾道学」という便利な代物があります。
位置エネルギーを利用した投石機「トレビュシェット」

弾道学さえあれば目標との高低差と距離から適切な角度と火薬の量を計算で出して、
理論上正確に当てることが出来ます
だったら、敵が居る地点に弾道学的な計算を使って撃てばいいのではないか
という訳には行きません


実際の戦場には風が吹いていますし、天気も変わりますし、
敵だってアホじゃありませんから動きます。そして風は高度や地形によって変化します

戦場で、これら全てを完璧に観測できれば確実に当てられるのですが、そんなことは不可能です

ならば、実際に弾を飛ばして計算で出た値からどれだけズレるかを確認する必要がある訳です

しかし、相手が見えないんじゃ着弾を確認して修正なんて事はできません。
高い場所を確保すれば見えるかもしれませんが、高い場所はどの時代でも戦闘に有利なので人気物件。
高所の確保は敵の妨害を受けることも多く、自分たちが低い位置で戦わざるをえない事だって絶対にあります。


なので、直接見えなくても着弾を観測し、目標からどの程度ズレているのかを報告する部隊を
大砲より前方に置くことで、見えなくても正確な射撃を実現しました
これを「間接射撃」と言います

現在の間接射撃は
・砲列(砲兵を配置した大砲を並べたもの)
・射撃指揮所(観測班の報告を聞いて砲兵に射撃目標や修正情報を送る)
・観測班(実際に着弾を観測しに前線に行き、射撃修正情報を射撃指揮書に送る)
という3つのグループに分けて運用されています

しかし、間接射撃にも問題があります
間接射撃が考案された当時、西暦1900年前後には歩兵が持ち歩けるようなサイズの無線通信機は無かったのです
そのため、戦場に電話線を引き、それに野戦電話を繋げて射撃指揮所まで情報を送ったわけですが
実際の戦闘では敵の砲撃などで電話線が切られることも多く、結局紙に書いて伝令を使っていたそうです

米軍が実際に使っていた野戦電話

二次大戦から現代にかけては当然ながら主に無線機を使って情報を送っています
 米軍の着弾観測訓練
正確な射撃を行うには専門の訓練を受けなければなりません
自衛隊でもそうですが数学の成績が良くないと砲兵にはなれません




次回は、紛争地帯でもよく見ることが出来る「迫撃砲」と
紛争地帯で見ることはあまりない「榴弾砲」についての記事になります


Monacoin:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年3月26日水曜日

割と知られてない気がしたコト:射程と命中精度を伸ばすための工夫 

フォークランド紛争を踏まえて尖閣諸島問題をどう見るかという記事を書いていたのですが
どうも詰まったので英国面とは違うちょと違った事を書きましょう


さて、現代の戦争で使われる兵器は大きく3つに分けられます
まずは歩兵の持つ銃。長射程と投射火力と間接射撃能力を持ち合わせた「砲」
それ以外の機械化戦力の3つです。

機械化戦力は別として、砲と銃という奴は数百年前からあります。
1300年代には砲はあったそうで、銃もまたその頃には基礎となるものがあったようです

しかし、現在のように槍や剣などに対して絶対的に優位な性能があったわけでは有りません。

今回はそのためにどのような手段でその優位な性能を手に入れたかというお話です


銃と砲の始まり

銃と砲の始まりは火薬なしには起こりません。
千年以上前から中国では黒色火薬が発明されており、
日本人が始めて火薬を用いた兵器に遭遇したのは「元寇」の時

所謂「てつはう」と呼ばれる手榴弾、のちの時代の擲弾に近いものでした
松浦市鷹島町で発見された「てつはう」の実物。
これにより、江戸時代に作られた創作という説が否定された
最初の銃などと言うものは無く、「砲」と「銃」の境が曖昧なのでその辺りの歴史は省きまして

ある程度銃の形が固まってきた頃、ちょうど日本に火縄銃が入ってきた頃まで飛ばします

日本ではあまり使われない言葉ですが、火縄銃を含む前方から弾を込める銃を総称して
「マスケット」と呼びます。
火縄≒マッチを固定するマスケットなので火縄銃は「マッチロックマスケット」と呼びます


この頃の銃は真っ直ぐ飛ぶというモノでは有りませんでした
現在のライフルは条件にもよりますが500-800mくらいでも上手く撃てば当たりますが、

マスケットは50-100m先でも上手く撃っても命中の可能性がある場所の何処に飛んでくか分かりません。
これは、ガス圧に押された銃弾が筒の内側の色んな所にぶつかりながら外に出ていくためです


この「真っ直ぐ飛ばない上どこに飛んで行くか分からない」というのを改善するために
「ライフル」という考え方が生まれました
英国製の戦車砲の砲身。螺旋状に刻まれているのが「ライフリング」
(因みにライフリングつき戦車砲は時代遅れ使いされることも)

筒に螺旋状の刻みを入れて、銃弾を回転させることで銃弾の飛行姿勢を安定させるという発想です
因みに、ライフルにはそれまでの球体の銃弾ではなく、「ドングリ型」とも呼ばれる新型の専用弾が使われました
どんぐり型の「ミニエー弾」 初期のライフルで使われた弾丸である

この弾丸の下にある溝は発車することで火薬の燃焼による空気圧を受けて外側に曲がり、
曲がった溝は筒に刻まれたライフリングに挟まって銃弾を回転させながら進んでいきます


ライフルの登場で銃の射程は3倍以上に一気に伸びて戦場の様子自体が変わり始めます
(実際はライフルが開発されてから、運用するドクトリンが登場するまで酷い有様だったらしいですけどそれは別の話)




このライフルの考え方は大砲にも取り入れられました。
が、この話はまた次回。
「榴弾砲と間接射撃」に持ち越しです。


0.1Monaでも頂ければ次の記事への原動力となります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年3月22日土曜日

フォークランド紛争:総括と反省、評価と戦訓(後半 イギリス編)

後半イギリス編です。


イギリスの勝因と反省

イギリスの勝因はアルゼンチンの敗因と同一ですが、イギリスにも反省点は有ります

まずは、海軍艦艇の損失が多いことです
原因としてはアトランティックコンベアーの記事にも書いた通り、
「ハリアーの数が足りない上、哨戒時間が足りないこと」に有ります

上空から敵機の接近を警戒する時間も能力も不足していました。

上空から長時間敵機の接近をレーダーで警戒し続けるという任務には専用の機体がありまして、
「早期警戒機」「AEW」と呼ばれています
航空自衛隊のAEW 「E-2C」
英軍にAEWが無かったわけではないのですが、
如何せんフォークランドは遠すぎた。
E-2Cは空母に載せることを前提に設計され、(その証拠に陸上で運用する機体も主翼が畳める)
現在も米軍では空母に乗せて運用されています

しかし、このような大型機を当時イギリスが保有していた軽空母で運用するのは不可能で、
フランス軍の正規空母「シャルル・ド・ゴール」でも運用は難しいと言われています


英国で同型機がAEWとして運用されていた「フェアリー ガネット」
(ダサイ というかカッコ悪すぎ)
一応、イギリスでも空母に載せるAEWは開発していたのですが、
垂直離着陸できるハリアーが実用化したことによって
スチームカタパルトを備え、予算のかかる英国最後の正規空母「アーク・ロイヤル」は退役しました
これが1978年の事。
左が「アークロイヤル」右は「ニミッツ」
明らかにサイズが違うことが分かる。E-2Cを運用するにはニミッツ程度の甲板の広さが必要


解体されたのは1980年。
フォークランド紛争後、ある英国海軍士官は「アークロイヤルがあればフォークランド紛争など起こさせなかった」と語っています

起きなかったかどうかは別として、損害は多少減っていたと思います。
但し、AEWは上に写真を載せたダサイやつですが。

まあ、この教訓から軽空母にもAEWを載せるため、英軍はヘリコプター型のAEWを開発したのでした
ウェイストランド シーキングAEW
ヘリの横についてる丸い物体はレーダー

飛行時はこのように垂れ下がります


イギリス軍が計画しているV-22オスプレイの派生型案「EV-22 オスプレイAEW」の想像図


他の反省点といえば、空中給油機の航続距離不足です

ブラックバック作戦の記事でも紹介した通り、フォークランドはあまりにも遠すぎて空中給油機の航続距離が足りませんでした。
そのため、航続距離の長い空中給油機を購入しています

フォークランド紛争の後開発された空中給油機「ロッキード トライスターK1」
因みに、オスプレイにも空中給油機タイプがあります。
英国が導入する可能性も大いに有り得ます
仮にオスプレイに空中給油機型が出来れば、米空母での艦載機運用も楽になりますし、
英海軍での空母運用でも、航続距離と武装を増やすことが出来ます
空中給油試験を行うオスプレイ


(空母から最大重量の武装で発艦するためには燃料が満タンでは重すぎて飛ばないので、
現在は燃料を減らして発艦した後に同じF/A-18で空中給油を行っている。
これをオスプレイが出来るようになれば燃費も改善されるし、連続してさらに多くの機体に対して空中給油が出来て、作業効率が上がります

軽空母等の場合は、今まで出来なかった空中給油が出来るようになり、作戦行動半径が一気に伸びます
例えばフォークランドの場合では「ハリアーの燃費の悪さと搭載燃料の少なさを、艦載型のオスプレイが空中給油して補う」なんて事ができるわけです)

現在行われているF/A-18からF/A-18への空中給油



次回は、このフォークランド紛争の戦訓を「とある国」にどのように反映されるか、
反映されているかを見て行きましょう





0.1Monaでも頂ければ次の記事への原動力となります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo



2014年3月21日金曜日

フォークランド紛争:総括と反省、評価と戦訓(前半 アルゼンチン編)

戦争、紛争は戦闘が終わったから終わりというわけでは有りません。
それを評価して戦訓を確認して、戦後の外交問題を解決させてようやく終わるのです


では、反省点等を上げていきましょう


アルゼンチンの反省点と敗因

まず、そもそもアルゼンチンは何故フォークランドに侵攻したのか。
これはフォークランドに国民の目を移すことで不満を外に逸らしたのはいいのですが、
それが加熱しすぎて、
国内の活動家が勝手にフォークランドに上陸して領有権を主張するなど
国内の不満とフォークランド奪還せよの声は最早大統領では止められなかったのです

しかし、大統領は実際の所弱腰でした

まず、英国は二次大戦以降の弱体化に加え、
財政難と経済的停滞の英国病の真っ最中。しかもフォークランドの維持は本国からあまりにも遠すぎて予算がかかるだけで
あまり重要視されていない。

つまりよほど相手が怒るような事をしない限り本気で取り返しに来る可能性は低いだろうととアルゼンチン側は判断したため、
外交的に刺激を与えない方法を選択しました。

それが、「フォークランド及びサウスジョージア島占領の際は英国側に『絶対』死者を出してはならない」という所でした
この目論見は成功し、英軍側に死者を出さずに占領に成功しました。
また、フォークランドに戦闘機や戦車を置けばイギリスに刺激を与えると考えて送り込まなかったのです


しかし、アルゼンチンは判断を誤りました。
フォークランド侵攻と、その後のアルゼンチンの態度は
内閣唯一の「男性」 マーガレット・サッチャーを本気にさせるには十分だったのです
1982年4月2日、前日アルゼンチンがフォークランドに侵攻したことについて国会での発言




アルゼンチンの想定に反して英国は本気で取り返しに来ました。
当時使える空母を全て使い、陸戦部隊も強者揃い、歩兵のエリートたる空挺部隊が中核。
これが本気でなければ何だというのか


ここまでが、外交及び戦闘前の反省点、敗因です


では、実際の戦闘段階での敗因は何なのか。

まずは補給線の切断です

イギリス海軍がフォークランドに到着してからというもの、大型輸送船は迂闊に近づけなくなりました。

これはイギリス海軍が原子力潜水艦を使って巡洋艦を沈め、
これを警戒するアルゼンチン海軍の対潜水艦戦闘能力が低いことによる
輸送艦投入の躊躇が生み出した状態です。

空輸するにも量が足りません。
数日前に紹介した空中給油を何度も繰り返す「ブラックバック作戦」ではポート・スタンレーの空港を使用不能にすることは失敗したものの、
ハリアーは相変わらず飛んでおり、撃墜される可能性があったわけです
そんな状況でありながら、悪天候の時に低空飛行を駆使することで60回以上の空輸を成功させているそうです
アルゼンチン軍の補給線を支えたC-130輸送機
画像は米軍のもの



今どき、というか千年以上昔からそうですが、
軍隊は補給が無ければ全く活動できませんし、戦力もどんどん低下していきます
燃料武器弾薬食料水その他日用品医療品(あと時代によっては娼婦)が十分に揃って始めて軍隊は本来の力を発揮できるわけで、
これを運び込むことが出来なければ軍隊はどんどん弱っていきます。

因みに、個人的に軍事ヲタを名乗っていいのは補給を想定して考えるようになってからだと思っています
補給のことを想定せずに話をする奴は軍事ヲタ以下の「にわか」と言うべきですかね
まあ、それは別の話として。


他には兵士の練度に有ります。
今どきの兵士は数じゃありません。練度×数が重要なのです

アルゼンチンは数が多いとはいえ新兵と徴兵主体の歩兵のみの部隊。
方や英国軍は空挺と海兵隊という陸戦エリート。

これだけ差があると二倍程度数が居たところで意味が有りません。

例えば、数が2倍以上居たとしても先述の通り、
補給線を断つように包囲してしまえば2倍数が居たところで絶対に負けてしまいます
実際、グースグリーンで包囲されたアルゼンチン軍は倍以上の数が居たにもかかわらず降伏しています

そのため、練度が高い兵士や軍隊は絶対に包囲されないように動きますし、
逆に相手をいかに迅速に包囲して叩き潰すかを重要なものとして考えます


韓国軍がいくら数が多かろうと「たかが徴兵だろ」と言われて
あまり強いと思われていないのはこの辺りに理由があります。

自分としては補給能力がやたら低い上、兵器や装備のメンテ不足やらの方で
かなり割食ってる気がしますけどね



ちょっと長くなったのでここで切ります。
続きは次回、「フォークランド紛争:総括と反省、評価と戦訓(後半 イギリス編)にて


0.1Monaでも頂ければ次の記事への原動力となります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年3月18日火曜日

フォークランドの英国面:貨物船改造空母モドキ

3日ぶりの投下はまたしてもフォークランドに関する英国面。

とある貨物船にまつわるお話です





改装空母とは

世界初の空母フューリアスは最初から空母として建造されたものではなく、
軽巡洋艦として生まれました。
これを改装して、飛行機を載せられる甲板を付けたのが世界初の空母と言われています
(この軽巡洋艦も意味不明な装備と配置が山盛りの珍兵器なんですが今回は割愛)

空母になる前の軽巡洋艦「フューリアス」

空母になった後、再度改装を受けた空母「フューリアス」

二次大戦前まではこのようなことは比較的よくあることで、
日本の空母も「神鷹」「海鷹」は
それぞれドイツの客船「シャルンホルスト」と大阪商船の客船「あるぜんちな丸」を改造したものです

空母になる前の「あるぜんちな丸」
空母改装を受けて「海鷹」となった

「飛鷹」と「隼鷹」という改装空母も居ますがあれは設計段階で空母改造を想定していたのでちょっと例外です

他にも、建造途中の戦艦から改造された「赤城」「加賀」
高速給油艦から改造された「祥鳳」「瑞鳳」

他国でも、米国なら「ラングレー」「ボーグ級護衛空母」
英国なら「グローリアス級」「アーガス」などの例があります。

船体だけ残して上に甲板を載せるだけでとりあえずは何とかなるので、改造しやすいのです



戦後になると、このような改造空母は作られず
最初から空母として作られるのが当然になりました。


時は経ち、1982年フォークランド沖海域

英国は空母をフォークランドに派遣しましたが、
かつての大英帝国が誇った正規空母でなくて、
今では「軽空母」と呼ばれる部類の空母で、

垂直離着陸が出来る航空機のみが運用できるものでした
垂直離着陸の戦闘機は様々な国が試しましたが、
結局実用化したのは英国で開発された「ハリアー」シリーズのみ

戦闘機や軍事がよく分からない人でもアニメや漫画、小説等でもよく出てくるので
垂直離着陸が出来る戦闘機の存在は知っている人も多いのではないでしょうか


米軍で運用される「ハリアー」シリーズの最新型「AV-8B ハリアーⅡ」
(米国で開発もとい魔改造生産されてます)


英国がフォークランドに送り出した軽空母の艦載機は「BAe シーハリアー」
シーハリアーFRS1
当時最新の対空ミサイルAIM-9L「サイドワインダー」を搭載した高性能機でした

しかし、そんなハリアーの性質に英国軍は悩まされることになります
「継続飛行可能時間が短い」という欠点を抱えていました

燃料の消費が激しい上、着陸に用いる燃料が多い上に
燃料の搭載可能料は少ないというハリアー特有の問題です

継続飛行可能時間が短いと、何が問題なのか。
哨戒時間が短くなり、敵が発見しづらくなります
では、哨戒とは何か。

レーダーというのは地球が丸いために低い所を飛ぶ物は発見しにくいという性質が有り、
船のレーダーも同様に低い所の敵などは発見しにくいです

逆に、山に登った時に本来なら水平線の向こうに在るはずのものが見えたりするのと同様に
高いところから見下ろせばレーダーで遠くの敵も低い所の敵もよく見えます

さらに、早く気づけたとしてもそこから戦闘機を出していては既に遅い。
なので、ミサイルを吊り下げた戦闘機に空を飛ばせ、
レーダーで敵を探させつつ、発見したらすぐに攻撃できるようにしておく。
これが哨戒任務と呼ばれるものです

哨戒時間はちょっと情報が見つからなかったのですが、後継機のデータから想定するに
およそ90分。
これでは短すぎます

米軍の空母はE-2Cという大型のレーダーを載せて、遠くの敵を発見する為に
長時間飛行するという専用の「哨戒用航空機」みたいな物を持っていますが、
(実際は早期警戒機AEWと言うのですが面倒なので省略)
これの哨戒時間は5時間にも及び、2、3機載せておけば常に空に飛ばしておけます
E-2C「ホークアイ」
武装もしていませんし用途も違いますが、どっちにしろ空母を守るには
高いところからレーダーで見張ることが必要なのです

実際、超低空で進入する敵機を接近されるまでレーダーで発見できなかったため、
英国海軍はフォークランドにてフリゲート艦数隻と駆逐艦を失っています



では、この状態を解決するために英国はどのように考えたのか
最初の問題は、ハリアーの数に有りました

あまりにも急な出撃となったため、
英国がフォークランドに送り込んだ2隻の空母に搭載されていたハリアーの数は
僅か20機。本来なら合わせて40-45機程を載せて、運用できるはずです
パイロットや整備の面での人員も必要ですが、機体がなければ話にならない

なので、先に出発した2隻の空母を含む艦隊の後を追うように増援の輸送艦が送り込まれました
それが、民間のコンテナ貨物船「アトランティック・コンベヤー」です
アトランティック・コンベヤー
アトランティック・コンベヤーに載せられたハリアー
こうして、多数のハリアーを載せた「アトランティックコンベヤー」と
姉妹館の「アトランティック・コーズウェイ」はフォークランドへ向かいます

輸送艦で航空機を運ぶのは割とふつうのことですが、問題が一つ残ります
「この輸送艦には大型クレーンもなければ、空母に載せ替えるために寄れる港は敵が確保している」
海のど真ん中でクレーンもなしに載せ替えなければなりませんが、
英国は、とある手段で解決しました



手法は割と単純なものです。
「垂直に離着陸できるんだから自分で飛んで空母まで行ってもらおう」というものでした

しかし、このようなことを試したり、あまつさえ実際に実行したのは後にも先にも英国だけです



それもそのはず。コンテナ船は甲板がかなり丈夫なので強度は問題有りませんが、
「本来ならジェット排熱に耐えられず溶けてしまう」
はずなのです

しかし、甲板を耐熱に改造していては改装空母になってしまうほどの改造が必要で、
今直ぐに必要なのでそんな時間は有りません。


この問題に対して英国は「耐熱マットを敷く」という手段で解決しました
因みに、マットは使い捨てだそうです





フォークランドで荷物をおろしてすぐ帰ったわけではなく、
整備するときや機体の整理等を行う際もこの貨物船にハリアーを置いていたみたいです
他にも、ヘリコプターならマットを使い捨てする必要もないのでヘリコプターはこちらにまとめられていたそうです。

しかし、わざわざハリアーを運んできて数を増やしたにも関わらず
哨戒をくぐり抜けてアルゼンチン軍の攻撃機は攻撃を繰り返し、
ついにこの「アトランティック・コンベヤー」もアルゼンチン軍に撃沈されてしまいます
攻撃を受けた後の「アトランティック・コンベヤー」
数日後に沈没


多数のヘリコプターと陸戦用の補給物資等を大量に載せたまま沈んだので、
英軍は補給計画の見直しを迫られることになりました。


0.1Monaでもいいので寄付していただけると、記事を書き続ける原動力になります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年3月15日土曜日

フォークランドにも英国面:空中給油機を空中給油して空中給油する

今日は英国面です。
フォークランドの記事を書いたのは英国面ネタを強化するためとかいう事実はない
断じて無いはずなのだ!


さて、フォークランド中編にて、戦略爆撃機アブロ・バルカンによる攻撃作戦が実施されたと言いましたが、
今回はこの攻撃作戦「ブラックバック作戦」に関する英国面です


アルゼンチンによるフォークランド侵攻の後、
イギリスは海軍で派遣艦隊を編成するとともに、アルゼンチンによる更なる戦力の増強を防ぐため、
補給線の切断手段を検討した。
フォークランドに対する補給手段は2つ
海上からの輸送船による補給と、航空機を用いた空輸です
潜水艦補給作戦?あんなのが出来るのは日本軍だけですよ

フォークランドに対して派遣された原子力潜水艦は程なく付近を航行していた巡洋艦を沈め、
これによりアルゼンチンは潜水艦を警戒して海軍艦艇をフォークランドに近づけられなくなります
巡洋艦を撃沈した原子力潜水艦「コンカラー」


アルゼンチン軍も潜水艦は持ってたのですが、
問題は水上艦の対潜水艦装備に有りました。

潜水艦を使うこと、潜水艦と戦うことは何よりも経験が重要で、
予算がいくらあっても簡単にはひっくり返せませんし、
その経験から得られた物は最重要レベルの軍事機密で、
余程の国でない限り情報は他国には漏れません。

日本とアメリカくらいですかね。イギリスとアメリカも情報交換してるかもしれませんが。

実の所、当時大規模な対潜水艦作戦を実施した経験があるのは
日本、アメリカ、イギリス、ドイツのみという状況でした

そして、それ以外の国でまともな対潜戦闘が出来る国はソ連くらいのもの
まともな海上戦の経験がないアルゼンチンには潜水艦との戦いの経験どころか
まともに対潜水艦装備も無かったのです

どうあがいても見つけられない潜水艦に対してアルゼンチンはさぞ恐怖したことでしょう
何処に居るかも分からない潜水艦がうろちょろしてるような場所には居られません。
アルゼンチン海軍の艦艇はフォークランドには近づけなくなりました。

とまあ、これで海上からの補給は断ち切れました

では、空輸はどうなのか




フォークランド諸島には、舗装されて、ジェット機や大型機が利用可能な空港は首都スタンリーにしか有りませんでした。
ヘリコプターじゃ少し遠いですし、搭載量少ないですし
他にもペブル島飛行場などは有りますが、
補給能力として一番大きいのはこのスタンリーの空港です。
ここに戦闘機だの攻撃機だのを配備されてはイギリス的にはかなり面倒です。

イギリス軍は、ここを攻撃することで敵の補給能力を大きく削ぐことを計画しました。




それでは、実際に爆撃をするためのプランを見て行きましょう

まずは爆撃機を飛ばす場所を選ばなければなりません。
他国に協力してもらえない場合、自国領で最も近い飛行場から飛ばすしか有りません
サウスジョージア島は既に占領されている上、飛行場が有りません

最寄りの英領はアセンション島
フォークランド諸島までの距離は

約6400km。往復で12800kmです。
イギリス空軍にこれだけの距離を飛行できる爆撃機、攻撃機があるのか。

無いです。そんな距離を飛べるのは米国のB-52、ソ連のTu-95くらいのものです


では、イギリス空軍でなるだけ長距離の航続距離を持つ爆撃機といえば
2008年 航空ショーにて「アブロ・バルカン」
アブロ・バルカン 航続距離 4100km

ハンドレページ・ヴィクター
ハンドペレージ・ヴィクター 航続距離3700km

この2機が核兵器を他国にいつでも投入できるように配備されていました。
どちらもいわゆる核抑止用の戦略爆撃機ですが、
通常爆弾などによる攻撃も出来ました。

しかし、どうやるにしろ航続距離が足りない。
じゃあどうするのか

至って普通です。空中給油すればいい。
燃料だけ運ぶ機体と爆弾を運ぶ機体に分けて、燃料が足りなくなったら爆弾を運ぶ機体に燃料を分けて燃料を運ぶ機体はそのまま帰ります。

帰りも燃料が足りなければ途中までお迎えに行けばいいのです。
米軍のF-16戦闘機が空中給油機KC-135から給油を受ける

自衛隊のKC-767による空中給油の様子 空中給油機からの視点




では、イギリス空軍に空中給油機はあるのか。
あります・・・が、ここに問題が有りました。

米空軍や航空自衛隊で使われている空中給油機は基本的に、
航続距離が非常に長い旅客機や軍用輸送機を改造したもので、
それ単体の航続距離は10000km以上になるのが普通です。
航空自衛隊のKC-767J ボーイング社製の旅客機、B767を改造したもの

当時のイギリス軍の空中給油機は、コレでした

余った「ハンドペレージ・ヴィクター」を空中給油機に改造したものです
コイツの航続距離は3700km。重い爆弾を積んでいないとはいえ旅客機改造の空中給油機の航続距離には遠く及びません。
では、この問題を英国はどう解決したか。





こうしました。
コレ、一見しただけではよくわからないと思うので解説します

一番上に攻撃目標スタンレー空港が、一番下が出発点アセンション島空港です
つまり、この2つの間が6400kmあります。

○にRと書かれているのはRTB、要はそこからアセンション島に帰る という意味です

中央のWave1にある2つのピンク色の機体。これが爆撃を実行する「アブロ・バルカン」です
2機あるのは、途中で問題が発生した際にも作戦を続行するために用意された予備機です
その他の機体のシルエットは全て空中給油機「ヴィクター」です

灰色のラインは全て予備機を意味しています

Wave1は爆撃を実行するバルカンと、フォークランド付近まで随伴する空中給油機ヴィクターのグループです。

Wave2はそのバルカンとヴィクターの燃料を途中まで運ぶためのグループです。

Wave3はバルカンとヴィクターの帰りの燃料を届けるためのグループです

つまり、この作戦は
爆撃機に燃料を給油するための空中給油機を途中まで運ぶために空中給油機から空中給油を行い、
その空中給油機を途中まで運ぶために空中給油機を出して空中給油する」という意味不明な事になっています

爆撃機1機と給油機1機の計2機をフォークランドまで飛ばすために使われたのは予備機含めて
16機になります

これが旅客機タイプの空中給油機ならば2機でこれを達成できます。
フォークランド紛争が終わって直ぐに空軍が始めたのは空中給油機の予算確保だったといいます。こんなのはもう嫌ですからね


結局、このプランを使った攻撃は6回行われ、
スタンレー空港の利用を最後まで妨害し続けたそうです




0.1Monaでも頂ければ次の記事への原動力となります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

フォークランドの小ネタ:アルゼンチンの子供向け番組

ちょっと面白いものを見つけたのでこの際ここに載せちゃいます





アルゼンチンの子供向け番組のフォークランド侵攻に関するものです。
かなり分かりやすくまとまってますが、やはりアルゼンチン側の視点なので
多少事実と違う点もあります。
ここまでのフォークランドの記事を読んだ方ならその違和感に気づかれるかもしれませんが、
既に「誰かさん」がコメントで書いちゃってるんですよね…

とりあえず気になった点を上げていくと

1 レーダーの英国軍機のシルエットがちゃんとハリアーになってた 細かい
2 英国訛りのスペイン語 ちょっと笑った
3 グースグリーンやスタンレー等英名と違う地名がある(フォークランドでなくマルビナス諸島って呼んでますし)
4 住民投票で最近も英国が選ばれたことはスルー(まあ、都合悪いし当然か)
5 同じく、侵攻前のフォークランド返還交渉で住民投票を条件に英国が返還する気があったこともスルー(これも都合が悪いし…まあ当然か)

こんなもんですかね

2014年3月14日金曜日

まだ続くフォークランド紛争 後編:英国の反撃と終結

イギリス軍の逆上陸

5月4日、フォークランド諸島の敵施設を爆撃していたイギリス海軍のシーハリアーが撃墜され、シーハリアーに初めての損失が出る

5月9日 イギリス側が上陸地点に関する情報収集を強化。
SBSが閉鎖海域に入り込んでいたアルゼンチン漁船を強襲して拿捕。そして沈没させた。
戦闘海域に入ってくる漁船なんて大概ろくでもないことしかしないので当然の措置である。

ペブル島襲撃

5月14日から16日にかけて、特殊部隊SBS及びSASによる上陸と破壊工作が行われた
フォークランド諸島のペブル島に駐機していたレシプロの軽攻撃機を破壊するために深夜、45人の
SAS隊員を載せた2機のヘリがペブル島飛行場から6kmの地点に降下、
そこから徒歩で飛行場まで移動し爆薬やスーパーバズーカ、迫撃砲等を用いて計11機の航空機を破壊した後、速やかに撤退した

これにより、フォークランド諸島での航空機による対歩兵航空攻撃の脅威が低下した
ペブル島に駐機されていた「プカラ」攻撃機

サン・カルロスの戦い

イギリス軍はアルゼンチン軍が多く駐留している東フォークランド諸島への上陸を決定。
橋頭堡としてサン・カルロスを確保することを決定。
サン・カルロスへの上陸作戦を開始した
フォークランド諸島は西と東に分かれており、A地点がサン・カルロス B地点がペブル島
イギリス軍はほぼ損害無く上陸に成功し、ここを起点に
アルゼンチン軍の中核かつ、フォークランド諸島の首都、スタンリーへの進撃を始める。

スタンレーへ行軍するイギリス軍



アルゼンチン海軍のイギリス海軍鑑定に対する航空攻撃

サン・カルロスに物資を輸送している間にもアルゼンチン海軍の攻撃は行われた。
5月21日にはフリゲート1隻が撃沈され、
23日にも同型艦のフリゲートが沈められ、
25日には駆逐艦と輸送艦が撃沈された。
フォークランド諸島で撃沈された21型フリゲート「アンテロープ」


攻撃を受けるフリゲート「アンテロープ」


 
徴用輸送艦「アトランティック・コンベアー」
クイーン・エリザベス2同様、民間船だが 軍が徴用して輸送艦として使われた


  
攻撃を受けた後の「アトランティック・コンベアー」
この数日後、浸水が悪化して沈没




4日間でフリゲート2隻、駆逐艦1隻、徴用輸送艦1隻、計4隻の大型艦が失われた。
英国内では「マレー沖海戦以来の失態」だと言われ批判された


※マレー沖海戦
太平洋大戦開戦直後の1941年12月10日、
英国海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」が
日本軍の航空機による対艦攻撃で撃沈された戦いである。
プリンス・オブ・ウェールズはその年の1月に就役したばかりの最新型艦であり、
それまで航空攻撃で撃沈できないとされていた戦艦、それも最新の戦艦を
航空攻撃のみで撃沈したことにより世界中が衝撃を受けた。
戦艦の時代を終わらせた戦いとよく言われる。


グースグリーンの戦い

サン・カルロスを起点とする東フォークランドでのイギリス軍進撃ルート図
左上に上陸地点サン・カルロス その下に激戦地グース・グリーン
一番東が首都スタンレー、その西にケント山がある

5月28日から5月30日にかけて、
グースグリーンではフォークランド紛争最大の陸上戦が行われた。
1600名のアルゼンチン軍守備隊と450名のイギリス陸軍空挺連隊が交戦を開始。
イギリス側は大隊長が戦死するなど被害を受けるが、
方や歴史ある英国陸軍のエリートたる空挺部隊、方や正規軍とはいえ徴兵と新兵の集まりである。
次第にアルゼンチン軍は半包囲されていき、降伏した
イギリス側の戦死者は17名、アルゼンチン側は250名余りであった。

炎上するグースグリーンの学校
グースグリーンの戦い30年を伝えるニュース 実際の映像、写真有り

ケント山の占拠

サン・カルロスから直接スタンレーへ向かった部隊は、アルゼンチン軍が占領する首都スタンレーを西側から直接見下ろせるケント山を攻略すべく行軍した
東側からスタンレーを撮影。街の向こうにケント山が見える
5月30日、特に目立った抵抗はなくケント山は確保された。
その夜に練度の高いアルゼンチン軍のコマンド部隊が山を取り戻すべく
イギリス軍と交戦。結局コマンド部隊は山を取り戻すことは出来ず、
イギリス軍はスタンレーを包囲する第一段階としてケント山に陣地を構築した

その後、スタンレーの包囲を確実なものにするため、
6月8日にはさらなる上陸作戦を実施するもアルゼンチン空軍による攻撃で揚陸艇が撃沈されるも、大半の部隊が上陸に成功。

6月13日、英軍が何度も降伏勧告を行うが、アルゼンチン軍のスタンレー守備隊はこれを拒否
英軍はスタンレーに対する全面攻撃に踏み切った。

スタンレー周辺の作戦図


この頃アルゼンチン軍では敗戦ムードが漂っており、士気は崩壊寸前だったが、
一部の練度が高い部隊との戦いでは英軍も苦戦を強いられた。
果てには接近戦闘になり、手榴弾の投げ合いや銃剣による白兵戦すら発生した。

二次大戦から自動火器や装備が発達した1982年でも銃剣戦闘は発生したため、この戦訓として英軍は未だに銃剣を信じ、また利用している。

翌日14日にはイギリス軍がスタンレーのすぐ外にまで接近し、
アルゼンチン側は正午に降伏。9800人の兵が捕虜となった。

スタンレーにて、降伏して捕虜となったアルゼンチン軍兵士

                
降伏した後回収されたアルゼンチン軍の武器及びその他装備



戦闘の終結

スタンレーの陥落により、ほぼ全ての陸上戦力を失ったアルゼンチン軍は敗北した。
翌日にはアルゼンチン大統領が「戦闘終結宣言」を出すも、
兵士同様敗戦ムードにより既に求心力を失っており、二日後には失脚、
30年程続いてきた軍事政権はあっさり終了してしまった






くぅー 疲れ(ry
しかし、これで終わりじゃありません。
戦争は評価や戦訓、その後の外交関係も重要な要素です
なので、次回は「戦後と紛争の評価、そして現在」の記事を書きます


0.1Monaでもいいので寄付していただけると、記事を書き続ける原動力になります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo

2014年3月13日木曜日

フォークランド紛争 中編:イギリス海軍の派遣と海上戦

イギリス軍の反撃

英国海軍のフォークランド派遣機動艦隊は、空母ハーミーズを旗艦とした
空母2、駆逐艦10、フリゲート13、揚陸艦、輸送艦その他支援艦16の計49隻。

空母「ハーミーズ」(画像はインドに売却されて「ヴィラート」となってから撮影されたもの
(実は、1944年起工の老朽船だったりします。ちなみにインド海軍で現役)
もう一隻の空母「インヴィンシブル」
(こっちは起工1973年、就役1980年の当時最新型。2005年退役 2011年解体)
「ハーミーズ」と「インヴィンシブル」に搭載された「BAe シーハリアFRS」

輸送艦としてフォークランド諸島周辺海域に停泊する「クイーン・エリザベス2」




さらに、フォークランド諸島に対する長距離爆撃も計画され、
戦略爆撃機「アブロ・バルカン」が空中給油訓練を行った
通常は核兵器を搭載している戦略爆撃機「アブロ バルカン」

フォークランドに近く、かつ英領で英軍が自由に使える飛行場はアセンション島だったので、
アブロ・バルカンの部隊はアセンション島に集結し、
空中給油機や輸送機、物資などが次々とアセンション島に到着。
アセンション島からフォークランド諸島までの距離 約6400kmの長距離飛行

4月12日にはフォークランド諸島に先行していた潜水艦がフォークランド周辺海域に到着
イギリス政府は周辺200海里を閉鎖海域として他国籍の艦船の侵入を禁じた


アルゼンチンの迎撃体制

アルゼンチンはフォークランド諸島にて迎撃体制を整えていた。
防御陣地を構築し、レーダー設備を持込、対空ミサイル等が次々と輸送艦によって持ち込まれた

アルゼンチン空軍も戦闘機や攻撃機の準備を整えており、
戦闘機の主力はフランス製の「ミラージュⅢ」
「ミラージュⅢ」画像はオーストラリア空軍のもの

攻撃機には同じくフランス製の「シュペルエタンダール」を投入。
アルゼンチン空軍のシュペルエタンダール 当時フランスでも配備が完了していなかった最新型であった
ウィキメディア・コモンズより
また、シュペルエタンダールには同じくフランス製の「エグゾゼ」対艦ミサイルを5発調達して1機1発づつ搭載した。



サウスジョージア島での反撃

サウスジョージア島周辺には潜水艦が居たが、
英海軍のヘリコプターに発見されて攻撃され、損傷した後陸に乗り上げて放棄された

4月25日、駆逐艦の艦砲射撃を与えながらイギリス海兵隊が上陸するも、
アルゼンチン軍はサウスジョージア島を重要とは思っていなかったので
戦闘もほぼなくアルゼンチン軍守備隊は即座に降伏した

海上戦

4月も末になるとフォークランド周辺海域にイギリスの派遣機動艦隊が到着し、
海上戦が始まるかと思われた。
アルゼンチン海軍は空母の艦載機による攻撃を準備していたものの、
何らかの理由で発艦不能になり、紛争終了まで戦闘海域の外で待機していた
というか浮いていた
(機関部が故障していて速度が足りず、風が無くて対気速度が足りなかったとか言われている)

結局、1944年レイテ沖海戦以来の空母同士の海上戦は発生しなかったのである

4月30日には英海軍の原子力潜水艦「コンカラー」が魚雷にてアルゼンチン海軍巡洋艦「ネヘラル・ベルグラノ」を撃沈

撃沈された「ネヘラル・ベルグラノ」
(こいつも1938年就役の老朽船 利根型と同年齢って・・)

5月4日
アルゼンチン海軍のシュペルエタンダールが対艦ミサイルを装備してイギリスの派遣機動艦隊に対して攻撃を行った。
この時、イギリス艦隊は対艦ミサイルを発射されるまで攻撃に気づくことが出来なかった
それもそのはず、シュペルエタンダールは海上僅か15mをレーダーの電源を落として飛行していたのだ
(地球は丸いため低い所を飛ばれると電波が当たらずレーダーに映らない上、
海面の反射と混ざってしまい判別しにくい)

シュペルエタンダールは接近した後わずかに上昇してレーダーの電源を入れて、
ロックオンした後ミサイルを発射。すぐに退避した。
ミサイルは駆逐艦「シェフィールド」に命中。
ダメージコントロール(浸水を防ぐための作業)を行うための電気系統が損傷したため
打つ手もなくなり総員退艦命令が出され、シェフィールドは放棄された
HMS「シェフィールド」に対する対艦攻撃

この対艦攻撃を行ったのは
爆撃魔王ことハンス・ウルリッヒ・ルーデルの教え子とも言われている

この記事はここまで。
次はすぐ書き始めるでね



0.1Monaでも頂ければ次の記事への原動力となります
寄付:MSmPH9ptv8Vp8N3JMjFCgQ25ucXv3xKTAo