イギリス軍の反撃
英国海軍のフォークランド派遣機動艦隊は、空母ハーミーズを旗艦とした
空母2、駆逐艦10、フリゲート13、揚陸艦、輸送艦その他支援艦16の計49隻。
空母「ハーミーズ」(画像はインドに売却されて「ヴィラート」となってから撮影されたもの (実は、1944年起工の老朽船だったりします。ちなみにインド海軍で現役) |
もう一隻の空母「インヴィンシブル」 (こっちは起工1973年、就役1980年の当時最新型。2005年退役 2011年解体) |
「ハーミーズ」と「インヴィンシブル」に搭載された「BAe シーハリアFRS」 |
さらに、フォークランド諸島に対する長距離爆撃も計画され、
戦略爆撃機「アブロ・バルカン」が空中給油訓練を行った
通常は核兵器を搭載している戦略爆撃機「アブロ バルカン」 |
フォークランドに近く、かつ英領で英軍が自由に使える飛行場はアセンション島だったので、
アブロ・バルカンの部隊はアセンション島に集結し、
空中給油機や輸送機、物資などが次々とアセンション島に到着。
アセンション島からフォークランド諸島までの距離 約6400kmの長距離飛行 |
4月12日にはフォークランド諸島に先行していた潜水艦がフォークランド周辺海域に到着
イギリス政府は周辺200海里を閉鎖海域として他国籍の艦船の侵入を禁じた
アルゼンチンの迎撃体制
アルゼンチンはフォークランド諸島にて迎撃体制を整えていた。
防御陣地を構築し、レーダー設備を持込、対空ミサイル等が次々と輸送艦によって持ち込まれた
アルゼンチン空軍も戦闘機や攻撃機の準備を整えており、
戦闘機の主力はフランス製の「ミラージュⅢ」
「ミラージュⅢ」画像はオーストラリア空軍のもの |
攻撃機には同じくフランス製の「シュペルエタンダール」を投入。
アルゼンチン空軍のシュペルエタンダール 当時フランスでも配備が完了していなかった最新型であった ウィキメディア・コモンズより |
また、シュペルエタンダールには同じくフランス製の「エグゾゼ」対艦ミサイルを5発調達して1機1発づつ搭載した。
サウスジョージア島での反撃
サウスジョージア島周辺には潜水艦が居たが、
英海軍のヘリコプターに発見されて攻撃され、損傷した後陸に乗り上げて放棄された
4月25日、駆逐艦の艦砲射撃を与えながらイギリス海兵隊が上陸するも、
アルゼンチン軍はサウスジョージア島を重要とは思っていなかったので
戦闘もほぼなくアルゼンチン軍守備隊は即座に降伏した
海上戦
4月も末になるとフォークランド周辺海域にイギリスの派遣機動艦隊が到着し、
海上戦が始まるかと思われた。
アルゼンチン海軍は空母の艦載機による攻撃を準備していたものの、
何らかの理由で発艦不能になり、紛争終了まで戦闘海域の外で待機していた
というか浮いていた
(機関部が故障していて速度が足りず、風が無くて対気速度が足りなかったとか言われている)
結局、1944年レイテ沖海戦以来の空母同士の海上戦は発生しなかったのである
4月30日には英海軍の原子力潜水艦「コンカラー」が魚雷にてアルゼンチン海軍巡洋艦「ネヘラル・ベルグラノ」を撃沈
撃沈された「ネヘラル・ベルグラノ」 (こいつも1938年就役の老朽船 利根型と同年齢って・・) |
5月4日
アルゼンチン海軍のシュペルエタンダールが対艦ミサイルを装備してイギリスの派遣機動艦隊に対して攻撃を行った。
この時、イギリス艦隊は対艦ミサイルを発射されるまで攻撃に気づくことが出来なかった
それもそのはず、シュペルエタンダールは海上僅か15mをレーダーの電源を落として飛行していたのだ
(地球は丸いため低い所を飛ばれると電波が当たらずレーダーに映らない上、
海面の反射と混ざってしまい判別しにくい)
シュペルエタンダールは接近した後わずかに上昇してレーダーの電源を入れて、
ロックオンした後ミサイルを発射。すぐに退避した。
ミサイルは駆逐艦「シェフィールド」に命中。
ダメージコントロール(浸水を防ぐための作業)を行うための電気系統が損傷したため
打つ手もなくなり総員退艦命令が出され、シェフィールドは放棄された
HMS「シェフィールド」に対する対艦攻撃
この対艦攻撃を行ったのは
爆撃魔王ことハンス・ウルリッヒ・ルーデルの教え子とも言われている
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