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2014年4月19日土曜日

ロシアとウクライナ:ここまでの流れ簡易まとめ。10分で読めるはず

流石に普通の人が読めない状態になってしまっているので、
色んな人に読んで欲しい「ホロドモール」辺りまでの流れを簡単にまとめていきます




10世紀頃、ウクライナ人の民族的先祖に当たるキエフ・ルーシ人は
「ルーシ」という国家を持っていた(ロシア人も同祖なので注意)

「ルーシ」はキエフ大公国と周辺の小国に分裂するが、
これは諸侯の領地を「国」と呼んだだけで、完全に別の国家となったわけではなかった
因みにこの頃のクリミア半島はキエフ大公国とビザンチン帝国で分割されていた

モンゴル帝国が侵入。「ルーシ」を完全に飲み込んだ。
帝国は分割され、今のウクライナの位置には「ジョチ・ウルス」が残った。
クリミアのキエフ大公国の領地はジョチ・ウルスになる

モスクワ大公国がジョチ・ウルスの力を利用して力を強める
ジョチ・ウルス滅亡 領地はいくつかの国に分割され、
最終的にポーランドとモスクワ大公国に分割される
クリミアには「クリミア・ハン国」が誕生 
かつてクリミアでビザンチンが持っていた地域はオスマン帝国になる

コサックが誕生
西のコサックはポーランドに、東のコサックはモスクワ大公国に有力な軍事力として活用され、
その地位と自治権を認められた。
西のコサックはポーランドに対して反乱を起こし、「ヘーチマン国家」として独立するも
数十年で結局ポーランドとモスクワ大公国に踏み潰され分割される
モスクワ大公国はロシア帝国になる
ロシアの農奴制が年を追う毎に悪化。
極端な貴族優遇と農民冷遇が続く。
「土地に拘束された農民」という立場は何処へやら、
土地と関係なく資産として売却が可能になるようになる
19世紀も中頃、農奴制は廃止されたが、
土地の再分配等が原因で農民の生活は寧ろ苦しくなる
20世紀に入る。
ロシアも次第に工業化し、都市労働者が増えるも生活は農民同様厳しい。
日露戦争勃発。ロシアは敗北を続け、日本海海戦で敗北は決定的なものになる
平和と生活改善と代議制を求めて首都サンクトペテルブルグでデモとストライキが発生。
軍がデモ隊に対し発砲。デモとストライキはさらに拡大

皇帝が国会を開くことを宣言すると事態は収束するが、
国会の権限は異様に低いものであったし、皇帝の権限で解散できるものであった
12年後 一次大戦による戦時経済で国民の生活は困窮、その不満が原因で
再びサンクトペテルブルグでデモとストライキが発生。
今度は軍の兵士も反乱に参加。最早皇帝が止められる状況ではなくなり
皇帝は退位。
国会の議長が臨時委員会を組織、臨時政府を立てる(ロシア革命)
臨時政府の他に「ソヴィエト」と呼ばれる評議会が組織され、
労働者と兵士は「ソヴィエト」を支持した。
「ソヴィエト」を構成する政党の一つ、「ボルシェヴィキ」が武装蜂起を実施
権力、政権を確保する
ボルシェヴィキ、一次大戦の全交戦国に「平和に関する布告」を布告
無賠償、無併合での講和を提案するも、ドイツは無視。
ドイツに負け続きのロシアは不利な条件での講和条約に調印せざるを得なかったが、
国民の要求であった「平和」を達成し、一次大戦から離脱した
日本、アメリカ、イタリア、イギリス、フランス等の一次大戦「協商国」側が
ロシア革命政権を倒す事も想定した干渉戦争を開始
(シベリア出兵)
帝政ロシアから独立し、誕生した
ポーランド、フィンランド、ウクライナ等の国家はボルシェヴィキに敵対。
「反革命軍」たる旧帝国派や共和主義者等が「白軍」としてボルシェヴィキと敵対
そのままロシア内戦となる
1920年頃 内戦はほぼボルシェヴィキの勝利。
ウクライナはソヴィエト社会主義共和国連邦となる



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